コラム

「アラブの春」から10年──民主化の「成功国」チュニジアに広がる幻滅

2021年02月02日(火)12時00分

中東・北アフリカの多くの国で、「アラブの春」の後も政府の交代がほとんど発生しなかったことや、政変をきっかけにリビアやシリアのように全面的な戦闘に陥った国さえあることを思えば、チュニジアはむしろ民主化の「成功国」と呼ぶことさえできる。

食えない「成功国」の不満

その「成功国」で再びデモと衝突が拡大するのは、ほとんどの人にとって政治よりパンの方がはるかに重要だからという当然の理由による。

いくら選挙が行われていても、チュニジアではコロナ感染拡大の以前から物価が高騰しており、その水準は「アラブの春」発生直前の時期を上回る。その一方で、失業率は高止まりしており、とりわけデモの中心にいる若年層の失業率は約35%にのぼるほか、高等教育を受けていても失業する割合は30%に迫る(世界銀行)。

Mutsuji210201_TunisiaEconomy.jpg

チュニジアを含む中東・北アフリカ一帯では2014年に原油価格が急落して以来、景気の低迷が続いてきた。そこにやってきたコロナは、決定的なダメージを与えたといえる。

カイロにあるアメリカン大学のサイード・サデック教授はアメリカメディアに「欧米メディアが宣伝する『成功』のイメージとは裏腹に、チュニジアの人々には『成功』の感覚はない。食糧も、水も、安全もないからだ」と語っている。

生活苦による不満が高まるなか、チュニジア政府が「汚職撲滅」を叫びながらも効果をあげられず、その一方で10月に「警官が暴徒を取り締まる権限」が強化されたことは、政府への不満をさらに強める悪循環となった。

生活苦が政治を動かす

歴史上ほとんどの政治変動は、貧困や格差といった生活への不満を大きな原動力にしてきた。

1789年のフランス革命後、反対派を次々と粛清したことで知られるロベスピエールは王政を廃し、共和制を導入した中心人物の一人だったが、飢えた群衆とともに「共和制? 王政? 私が知っているのは社会問題だけだ」と叫んだといわれる。これを踏まえて、20世紀を代表する政治哲学者の一人ハンナ・アレントはフランス革命の目的が自由ではなく生活の満足感にあったと示唆する。

現代でも、自由で民主的な政治体制であろうがなかろうが、衣食住が十分でなく、身の安全も保障されていないと感じる人々が多ければ、政府が正当性や権威を認められることはない。香港やタイの反政府活動、フランスで広がったイエローベスト運動、さらに黒人差別に反対するデモ(BLM)なども、それぞれ自由や民主主義、人権といったイデオロギーに彩られていても、生活苦を大きな背景にしている点では基本的に全て同じだ。

プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

イスラエル内閣、26年度予算案承認 国防費は紛争前

ビジネス

ネットフリックス、ワーナー資産買収で合意 720億

ワールド

EU、Xに1.4億ドル制裁金 デジタル法違反

ビジネス

ユーロ圏第3四半期GDP、前期比+0.3%に上方修
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:日本時代劇の挑戦
特集:日本時代劇の挑戦
2025年12月 9日号(12/ 2発売)

『七人の侍』『座頭市』『SHOGUN』......世界が愛した名作とメイド・イン・ジャパンの新時代劇『イクサガミ』の大志

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%しか生き残れなかった
  • 2
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させられる「イスラエルの良心」と「世界で最も倫理的な軍隊」への憂い
  • 3
    高市首相「台湾有事」発言の重大さを分かってほしい
  • 4
    【クイズ】17年連続でトップ...世界で1番「平和な国…
  • 5
    「ボタン閉めろ...」元モデルの「密着レギンス×前開…
  • 6
    左手にゴルフクラブを握ったまま、茂みに向かって...…
  • 7
    ロシアはすでに戦争準備段階――ポーランド軍トップが…
  • 8
    日本酒の蔵元として初の快挙...スコッチの改革に寄与…
  • 9
    「ロシアは欧州との戦いに備えている」――プーチン発…
  • 10
    主食は「放射能」...チェルノブイリ原発事故現場の立…
  • 1
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙すぎた...「心配すべき?」と母親がネットで相談
  • 2
    100年以上宇宙最大の謎だった「ダークマター」の正体を東大教授が解明? 「人類が見るのは初めて」
  • 3
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%しか生き残れなかった
  • 4
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させ…
  • 5
    128人死亡、200人以上行方不明...香港最悪の火災現場…
  • 6
    【銘柄】関電工、きんでんが上昇トレンド一直線...業…
  • 7
    【クイズ】世界遺産が「最も多い国」はどこ?
  • 8
    人生の忙しさの9割はムダ...ひろゆきが語る「休む勇…
  • 9
    【クイズ】17年連続でトップ...世界で1番「平和な国…
  • 10
    日本酒の蔵元として初の快挙...スコッチの改革に寄与…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 6
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 7
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 8
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story