コラム

制作期間は7年超、アニメ映画『音楽』は全てがシンプルだからこそ斬新で衝撃的

2022年02月17日(木)18時00分
『音楽』

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<不良高校生3人がふとバンドを始め、適当に出した「音」に覚醒する──潔さが過ぎるほど淡白なタイトルで、ストーリーにも劇的な要素は一切ない。なのに、見入ってしまうのはなぜ?>

公開前にプロデューサーの松江哲明から宣伝用のはがきを渡されたとき、表面に印刷されたメインビジュアルを見て、こんな稚拙なタッチで映画になるのだろうかと出来を危ぶんだことを覚えている。

しかもタイトルは『音楽』。ひねりが全くない。普通ならサブタイトルを付けたくなるはずだが、それもない。『音楽』のみ。その意味では潔さが過ぎるほどに淡白だ。映画の内容が全く想起できない。

おそらくは映画を観る前に、(僕も含めて)そんな思いを抱いた人は少なくないはずだ。そしてそんな人たちの多くは、たぶん観始めて20分が過ぎる頃、すっかり映画に見入っていたはずだ。

ストーリーはシンプルすぎるくらいにシンプルだ。不良高校生で他校の不良たちとけんかばかりしていた研二と太田と朝倉は、ふとバンドを始める。口火を切ったのは研二だが、そのきっかけの描写もシュールで淡い。劇的な要素は全くない。

3人は楽器を学校の音楽室から無断で拝借するが、編成はベースギターが2本とフルセットではないドラムだけ。しかも3人はチューニングすら知らない。ところが適当に出した「音」で、3人は何かに覚醒する。以下はそのときのセリフ。

研二「今のさあ、すーげえ気持ちよかった」
太田「俺も」
朝倉「俺も」

......これだけだ。でも3人は演奏に熱中する。このシーンだけではない。とにかく徹底して説明はない。そしてノンモン(音のない)の静止画が長い。だから観る側は観ることだけに集中できない。じっと動かない研二の顔を見つめながら、いろいろな思念が湧いてくる。あるいは思い出す。

例えば自分の高校時代。その頃に聴いていた音楽。淡い初恋。誰かのその後の消息。......映画に凝縮された誰かの青春を観るだけではなく、過ぎ去った自分の青春も思い出す。

同時に、観ながらつくづく思ったけれど人類にとっての音楽のアーキタイプは、(最初の音楽は歌ではないかと推察されているが)やはりメロディーではなくリズムなのだろう。研二たちのバンドにメロディーはない。リズムだけだ。でも響く。何かに届く。何かを揺さぶる。

悪そうな奴はたくさん出てくる。でも本当に悪い奴は一人もいない。登場人物の一人一人が愛おしい。仮に実写だとしても、これほどにドラマツルギーから悪意を排除した作品はそうはない。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

日銀、政策金利を現状維持:識者はこうみる

ビジネス

アルコア、第2四半期の受注は好調 関税の影響まだ見

ワールド

英シュローダー、第1四半期は98億ドル流出 中国合

ビジネス

見通し実現なら利上げ、米関税次第でシナリオは変化=
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 5
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 6
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 7
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 8
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 9
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 10
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story