コラム

UAEメディアが今になってイスラエルとの国交正常化を礼賛し始めた理由

2020年09月08日(火)06時40分

2011年の「アラブの春」ではカイロのイスラエル大使館に若者たちのデモ隊が押しかけ、大使館に火をつける動きもあった。

同じアラブ人=パレスチナ人側に立つことが当然ではない

エジプト・イスラエルの平和条約と比べれば、今回のUAEの場合は、和平を取り巻く環境は大きく異なる。アラブ世界が最後にイスラエルと戦争した第4次中東戦争から47年経過しているし、UAEは過去に平和条約を結んだエジプトやヨルダンと違って、イスラエルと交戦した国ではない。

UAEとの和平については、イスラエルメディアの論調には「もともと戦争した国ではないのだから、和平といえるのか」と過小評価するものもある。UAEでも国民の間に、イスラエルを「敵国」と考える意識は薄いだろう。

イッティハード紙の「UAE・イスラエル平和条約 未来を展望する」というコラムを読んでいくと、「スローガンを掲げるだけの抵抗ではパレスチナ人が国家を樹立することはできない。イスラエルの存在を否定して敵対するのではなく、和平を実現することによって、占領の継続には意味がなく、公正で包括的な平和を実現することで得られる大きな利益を失っていることをイスラエルに分からせることになる」と書いている。

もっともらしく聞こえるが、ヨルダン川西岸やガザで軍事占領が続いているパレスチナ人の現実からは遠い認識である。この文章を書いているのが、パレスチナのニュースに日々接しているはずのアラブ人のジャーナリストだということに驚く。

41年前に私がエジプトで聞いたイスラエルとの和平への反発には、イスラエルと対峙しているのはパレスチナ人だけでなく、自分たちも同じだという思いが感じられた。最後の中東戦争から半世紀近くたち、占領の下にあるパレスチナ人の苦難は、まったく別世界の出来事なのだろう。

パレスチナから遠く離れて、人口一人当たりのGDPでは日本をしのぐUAEで豊かな生活を送る人々にとって、同じアラブ人なのだからと、同胞のパレスチナの側に立つことを当然と考えるような見方は意味をなさない。UAEの多くの人々にとっては、パレスチナ問題よりも、自分たちが日々、困難に直面している新型コロナの蔓延こそが大きな関心事だろう。

パレスチナ、トルコ、イランは正常化合意を非難したが......

UAEでは9月6日までに7万3000人の陽性者が確認され、388人が死んでいる。UAEの人口は1000万人弱であるから、日本の人口で考えれば陽性者約90万人、死者約5000人となる。

UAEでは3月から商店やレストランの閉鎖や行事の中止などが始まり、4月初めから24時間の外出禁止令が出て、外出禁止は6月下旬まで続いた。人々にとっては家に閉じ込められる困難な生活が続いた。そして、8月初めは200人以下だった新規陽性者は増加し始め、9月になって1日700人を超え、第2波の到来への恐れが強まっている。

UAEの人々がコロナ禍で苦しみ、イスラエルとの和平がコロナ対策の助けになるとなれば、和平歓迎は当然となる。

和平から10日後に保健相同士が新型コロナ対策で協力を話し合ったという動きもそうだが、両国政府もそれを意識し、計算して動いているはずだ。合意発表の2日後の8月15日には、UAEの投資会社がイスラエルの会社と新型コロナウイルスの検査キットの開発で協力するという発表もあり、ニュースになった。

【話題の記事】
撃墜されたウクライナ機、被弾後も操縦士は「19秒間」生きていた
トランプの嘘が鬼のようにてんこ盛りだった米共和党大会(パックン)

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

中国で「南京大虐殺」の追悼式典、習主席は出席せず

ワールド

トランプ氏、次期FRB議長にウォーシュ氏かハセット

ビジネス

アングル:トランプ関税が生んだ新潮流、中国企業がベ

ワールド

アングル:米国などからトップ研究者誘致へ、カナダが
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
2025年12月16日号(12/ 9発売)

45年前、「20世紀のアイコン」に銃弾を浴びせた男が日本人ジャーナリストに刑務所で語った動機とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の脅威」と明記
  • 2
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の展望。本当にトンネルは抜けたのか?
  • 3
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 4
    「前を閉めてくれ...」F1観戦モデルの「超密着コーデ…
  • 5
    現役・東大院生! 中国出身の芸人「いぜん」は、なぜ…
  • 6
    世界最大の都市ランキング...1位だった「東京」が3位…
  • 7
    首や手足、胴を切断...ツタンカーメンのミイラ調査開…
  • 8
    身に覚えのない妊娠? 10代の少女、みるみる膨らむお…
  • 9
    「体が資本」を企業文化に──100年企業・尾崎建設が挑…
  • 10
    トランプが日中の「喧嘩」に口を挟まないもっともな…
  • 1
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だから日本では解決が遠い
  • 2
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価に与える影響と、サンリオ自社株買いの狙い
  • 3
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出を睨み建設急ピッチ
  • 4
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の…
  • 5
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 6
    キャサリン妃を睨む「嫉妬の目」の主はメーガン妃...…
  • 7
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれ…
  • 8
    中国軍機の「レーダー照射」は敵対的と、元イタリア…
  • 9
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 10
    人手不足で広がり始めた、非正規から正規雇用へのキ…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 5
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 6
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 7
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 10
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story