コラム

パリ同時多発テロを戦争へと誘導する未確認情報の不気味

2015年11月18日(水)15時42分

「殉教者」を演じる役者としての自爆者

 イスラムでは殺人と自殺は地獄行きの大罪である。外形的には、自殺であり、同時に殺人であるという自爆テロが、自殺でも殺人でもなく、神の敵を成敗するための「殉教」であるためには、宗教的な保証が必要となる。それを与えるのは、イスラムでは専門的にイスラム法を修めたアーリムと呼ばれる宗教者でなければならない。さらに宗教者と殉教者だけでは、殉教作戦が実行できない。当然、政治的な意図をもって作戦を実行する仕掛け人が必要となる。

 演劇で例えれば、宗教者は台本をかく作家であり、仕掛け人が演出家、自爆者は台本を読み込み、演出家の指示を受け、殉教者を演じる役者ということになろうか。イスラム教徒なら、台本を書くのは宗教者ではなく、「神(アッラー)」である、というかもしれない。このような例えをすることで、私が言いたいのは、神のもとに行くことしか頭にないほど、宗教の世界に入ってしまっている自爆者に、政治的な意図を立てたり、作戦立案をしたり、または目的地に車を運転していくようなことも含めて、多くの作業を期待することはできない、ということである。

シャルリ・エブド新聞社襲撃とは作戦の質が異なる

 そのように考えれば、7人の自爆者が少なくとも6か所で別々に動き、銃を乱射した後、警官に射殺された一人を除く6人が自爆したというテロ攻撃の全様を知った時に、その作戦のために、どれほど大掛かりで周到な準備が行われ、どれだけのサポートの人間が動いたかと考えざるをえなかった。7人の自爆者とイスラム国とつながる首謀者だけで完結するようなものではない。そのような大規模なテロ作戦を実施できる組織が、フランスにあったということに驚いたのである。

 1月にあったシャルリ・エブド週刊新聞社に対する襲撃事件は、全くの犯罪行為ではあるが、新聞社襲撃が目的であった。結果的に襲撃犯は殺害されたが、今回は初めから死ぬことを目的とした「殉教作戦」であって、同じように見えても、作戦の質が全く異なる。

 もし、シリアのパスポートを自爆者が身に着けていたとすれば、仕掛け人が何らかの政治的な意図で着けさせたことになろう。もし、そうでなければ、「テロリストがシリアから来た」という政治的なメッセージを拡散させようとする誰かの陰謀である。

「首謀者」として浮上したブリュッセルの若者

 フランスでは押収されたシリアパスポートの解析を含め、事件解明について捜査が続いている。事件の全容解剖には、相当の時間と労力が必要であろう。捜査で7人の実行犯のうち最初に身元が分かったのは、パリから周辺の県に住む、特に重大な犯罪歴のない若者だった。その後、いきなり、ブリュッセル生まれのモロッコ系移民の息子であるアブデルハミド・アバウード容疑者(27)を、「事件の首謀者」とするメディアの報道が出てきた。

 アバウード容疑者はシャルリ・エブド事件の後、今年1月に警官襲撃のテロ未遂事件があった隣国ベルギーのブリュッセルで、その事件の首謀者として名前があがった人物だ。捜査の手を逃れ、「イスラム国」に逃走していたその若者が、今回のパリ同時多発テロを計画し、仕組んだ首謀者だというのである。しかし、報道を見ても、彼がシリアにいるのか、欧州にいるのかも分からず、どこから、どのようにして、作戦を指示したのか、さらに、捜査当局は彼の関与をどのようにして知ったのかなど、彼が「首謀者」だと納得できる具体的な情報が何も出てこない。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

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