コラム

憲法はなくてもバジェットデーがある

2012年04月01日(日)13時50分

 日本やアメリカで暮らしていた時、イギリスには憲法がないんだという話をして当惑されることがあった。もちろんイギリスにも、法や慣行に基づき国家の在り方を規定したものはある。だが、どんな原則に基づきどう国を統治していくのか、ということを明記した1つの成文憲法は存在しない。

 当然のように、こう言われたものだった。「法全体」が明確に描かれた憲法が存在するほうが、道理にかなっているのでは? これに対し僕は、イギリスには憲法がないが物事はなんとかうまく回っているから、たぶん憲法はそんなに大事なものじゃないんだろうと思う、としか答えられなかった。でも実際、国家には憲法があるのが常識だと思って育った人々には、憲法がないなどという事態は受け入れがたいものなのかもしれない。

 一方僕たちイギリス人は、年に一度「国家予算が明らかにされる特別な日」がある、というのが常識だと思って育ってきた。「バジェット(予算)デー」と呼ばれるこの日は、もはや1つの儀式のようなもの。数日前から、予算内容に関する予測(とリーク情報)が盛んに飛び交うのだ。

 一番の注目を集めるのは財務大臣だろう。少なくともこの日は、首相以上の重要人物になる。メディアは一日中バジェットデーについて報道し、予算の発表を生中継する。

 財務大臣は、ダウニング街11番地の財務大臣公邸前で赤革のバッグを手にしてメディアのカメラに納まるのが通例だ。バッグの中には予算発表で読み上げる書類が入っている。

■目玉は気になる新税制の発表

 僕がうまれてこのかた、それはほとんどいつも同じおんぼろの古い赤革バッグだった。ウィリアム・グラッドストーンが財務大臣を務めていた1860年代から使われていたものだ。このバッグは2010年に引退を余儀なくされたが、それ以前でもゴードン・ブラウン前首相は、97~07年の財務大臣時代にこのバッグを使おうとしなかった。

 ブラウンは「ニュー・レイバー」が過去など振り返らない先進的なものであることをアピールしたかったのかもしれない。でも今では多くの人々が、ビクトリア朝時代の分別ある財務体制を放棄していたブラウンの姿勢を象徴する出来事だった、ととらえている。

 財務大臣は下院で予算を読み上げ、経済成長やインフレ、国家債務に関する最新の見通しについて発表する。そして、さらに重要な発表――待ちに待った「新税制」について明らかにするのだ。

 タバコ税はいつでも上がる一方。「国民の命を救いたいからだ」と言っては政治家が崇高さを演出できる税の1つだからだ。とはいっても実際のところ、貧しい人々のほうがタバコを多く吸っているため、これは逆累進性の高い税になっている。今年の予算では、1箱あたり平均37ペンスが増税されることになった。

 例年、少なくとも1つはバラマキがあるもの。今年は「課税最低限度額」がかなり引き上げられたことがそれに当たる。所得税などの課税の対象となる最低限度の収入のことだ。

 たいてい毎年、その時の政権政党の主要な支持層が喜びそうな政策も1つは用意されている。今年の場合は、所得税の最高税率が50%から45%に引き下げられたことだ。これは保守党支持の富裕層に大歓迎された。

 選挙を直前に控えている場合、予算はかなり「寛大」なものになりやすい。不人気な税をカットしたり増税を中止したり、医療や教育など人気の分野により多くの予算を配分したりする。それこそがこのシステムの明らかな弱点だ。窮地の政権は正しい経済運営を放棄し、来る選挙での再選を狙って予算で有権者を釣ろうとする傾向にある。

■日本は補正予算がダラダラ続くが

 予算はいつも、混乱なく議会を通過する。下院では政権政党(あるいは連立政権)が過半数を占めているからだ。どんな議論も、バジェットデーの前にはすでに解決済みになっている。

 概して、バジェットデーは面白いものだ。(建前上の)トップシークレットを潜ませた古い赤革バッグ、といった劇場的な要素もあれば、新聞がオンライン上で「あなたの暮らしはこう変わる」チェックシートを開設するなど、個人的な興味をそそるイベントでもある。

 僕はイギリス国外に住んでいるあいだ、バジェットデーを少し懐かしく思っていた。日本の国会ではいつでも絶え間なく「補正予算」の話し合いが続くばかり。アメリカでは誰がいつ予算を作成していたのかも分らずじまいだった。

 理論上は、「予算」を1日でやる必要がないことは分かっている。バラバラに議会を通過してもいいような個々の法案を、あえて1つにまとめているにすぎないだろう。

 でもバジェットデーのある国に育った国民として、僕はこう思う。「予算全体」が明確に描かれたものが存在するほうが、道理にかなっているのではないだろうか。バジェットデーなしに政府が運営されるというのは、僕にとっては考えられないことだ。

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

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