コラム

イギリスビールの伝統に酔いしれた日

2011年09月02日(金)14時52分

 僕は最近、自分の「死ぬまでにやっておくこと」リストの重要項目に「済」印をつけることができた。毎年ロンドンのアールズコートで開かれるビールの祭典、グレート・ブリティッシュ・ビアフェスティバルに参加できたのだ。

 15年くらい前に初めてその祭典について聞いてからずっと参加したいと思っていたけれど、海外に住んでいたために実現しなかった。ちょうどタイミングのいい時期にイギリスに居合わせたことが2度あったが、運悪く災難に見舞われて参加できなかった。

 フェスティバルは、(まさにその名のとおり)巨大な会場で1000種類を超える「リアルエール」を味わうことができるというビール通にはたまらないイベント。僕もめいっぱい楽しんだが、できるだけ多くの種類のイギリスビールを飲むことに人生の大半を費やしてきた僕にとって、イベント自体はそんなに驚くようなものでもなかった。むしろ、やっと参加できてほっとしたという思いが強かった。

 僕が行ったのは取材目的でもある。だからここで、読者にイギリスビールの偉大さについて紹介してみたいと思う。

 まず、イギリスビールは外国人から「ぬるくて気が抜けている」と批判されることがある。実はそれこそがイギリスビールの素晴らしさなのだ。

貯蔵庫の温度(注・通常の室温ではない)で提供されるからこそ、その風味を十分に楽しめる。本来は赤ワインを冷やし過ぎて飲むものではないのと同じように、また生ぬるくなった紅茶を飲んではいけないように、「リアルエール」はキンキンに冷やして飲んではいけない。

 イギリスの気候は一年を通じて適度に穏やかだから、夏にだってビールを冷蔵庫で冷やす必要はない。冷蔵庫が誕生する数世紀前から、イギリスビールの伝統は存在した。伝統的なイギリスビールが冷え冷えで飲むようにつくられていたとしたら、逆におかしいだろう。

 それと「気が抜けている」という点についてだが、確かにイギリスビールは人工的に炭酸加工されていない。日本で人気のシューシュー泡立つラガーは爽やかだが、膨満感や胃もたれの原因になる。イギリスビールの炭酸は、醸造過程で生まれる自然な微炭酸だ。

■保管にも神経を使う複雑な製品

 第2に、「リアルエール」はラガーや大手ビール会社(ギネスやボディントンズなど)のビールよりも自然で複雑な製品だ。「リアルエール」という呼称は、樽の中で酵母を生かしながら醸造する伝統的なイギリスビールを指すために、1970年代につくられた言葉。僕もそれほど技術的なことに詳しいわけではないから長々とうんちくを語るつもりはないが、興味のある人は「上面発酵ビール」で検索してみるといい。

 これらのビールは保管の際に注意が必要だし、賞味期限もほんの数日から数週間と限られている。殺菌処理されておらず、ケッグと呼ばれるアルミ製のビア樽ではなくて木製の大樽で保存する。放っておくと劣化する可能性がある(実際に臭くなったり味が落ちたりする)から、パブの店主がきちんと管理しなければならない。

 CAMRA(「本物のエールを」運動)という英雄的な組織は、伝統的ビールを推進するだけでなく、それを提供するパブの支援も行っている。CAMRAはグレート・ブリティッシュ・ビアフェスティバルをはじめ、各地で行われる同様のイベントも多数主催している。

 第3に、リアルエールには数多くの種類がある。僕は今回、1種類につき半パイント(300cc弱)で我慢して、(たぶん)7種類を試飲したけれど、フェスティバルでは1000種類以上が提供されていた。

 もちろんその多くは、ある特定の種類のビールの「ご当地バージョン」に過ぎないが、それでも伝統的なビールは多岐にわたる。たとえばインディア・ペールエール(IPA)、マイルド、ポーター、スタウト(そしてダブルスタウトやオイスタースタウトなどのバリエーション)、ビター、それに通常ブロンドエールやゴールデンエールと呼ばれる淡い色のビール。

 たいていの場合、重視されるのは味の違いだが、状況によっても飲みたいビールは異なってくる。冬に飲むなら、最近知ったノグがぴったりだと思うし、ゴールデンエールは夏がいい。IPAは苦味があり、ポーターはどちらかというと甘いから、それぞれ違うタイプの食事に合う。

 アルコール度数もさまざまだ。長々と飲みつづけるだろうな、という日にいい「セッション」ビールなら通常3・4%。でもその倍の度数のビールだってたくさんある。

■熱烈ファンには変人が多い?

 第4に、リアルエールの伝統は今、危機に瀕している。大手ビール会社には巨額の広告・マーケティング予算があり、それゆえ市場シェアも大きい。彼らは小規模な醸造所を買収して、そこの製品を根本から変えてしまったりもしてきた。

 たとえば、ボディントンズはかつてはマンチェスターの小さな独立した醸造所だったが、今ではステラ・アルトワやバドワイザーを所有する複合企業に所有されている。原材料は変更され、生産拠点は別の場所に移された(後にマンチェスターの別の場所に戻っては来たが)。

 だからCAMRAとその支持者たちは、提携できるならどことでも提携したいと考えている。イギリスの伝統を称えているからといっても、彼らはナショナリストではない。ドイツやベルギーのような諸外国の伝統的ビール(今回のフェスティバルにももちろん出品されていた)のファンでもあるし、アメリカやオーストラリア、日本といった「新世界」のビールづくりも称賛している。現にフェスティバルでは、日本のベアードや常陸野ネストも提供されていた。

■変人に好かれるビール?

 偉大なビールの数々を試してみたいとイギリスを訪れる人々にオススメしたいのは、ロンドンに数多くある、醸造所の「系列パブ」を訪れることだ。たとえば、ロンドンの醸造所の系列であるフラーズとヤングス、それにヨークシャーの醸造所の系列のサム・スミスなど。

 ロンドン以外にも地域の醸造所がたくさんあるが(たとえばイングランド東部のグリーン・キング)、それ以外の場所で面白いビールと出会うならフリーハウスが最適だ。ここは特定の醸造所とのつながりがないパブで、オーナーが厳選したビールを置いている。

 僕はサム・スミスのビールの大ファンだが、ちょっと自慢させてもらえるなら、フェスティバルで(来場者投票により)トップ10に選ばれたビールのうち3銘柄は僕の出身地エセックス州で醸造されたもので、マルドンのマイティオークとクラウチベールの製品だった。

 最後に、少なくともフェスティバルを見る限り、イギリスビールは一風変わった人々を魅了するようだ。来場者は圧倒的に中年の白人男性が多かったし、もじゃもじゃの顎鬚を生やした(そしてビール腹の)人の割合がいやに高かった。僕が行った日はたまたま「帽子デー」で、笑えたり目を引く帽子をかぶっている人は特別にビールの引換券がもらえる日だった。

 だがそうでなくても、多くの人が奇抜な格好をしていた。何人かの大酒飲みの着ているTシャツには「これ着ると、僕のお腹大きく見える?」とプリントされていた。別の人のTシャツには「ビール――朝食にはソフトドリンクだけじゃない」とあった。ミュンヘンのオクトーバーフェストやCAMRAの地域イベントなど、別のビアフェスティバルのTシャツを着た人も大勢いた。

 僕もその興奮にのまれてしまったみたいで、持っている唯一の、酒とかろうじて関連のあるTシャツを着ていった。

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そして大勢の来場者が、飲みながらメモをとっていた(僕もその1人だ)。ただビールを飲みに来ただけという人も多かったが、それ以外の人々にとっては、このイベントはイギリスの素晴らしき国民的飲料に捧げてきた彼らの人生の中で、かけがえのないひとときだったといえるだろう。

彼らはおそらく、機会があればいつでもビールについて延々と語りだし、聞いている人々をうんざりさせると思う。そして、まさにそれこそ僕が自分のブログでしようとしていることなのだと気づいてしまった。

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

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