コラム

ニューヨークで再会した小津安二郎

2010年02月25日(木)12時35分

 小津安二郎監督の映画に初めて出会ったのは1994年。僕の人生があまりうまくいっていない頃のことだ。日本語教師が彼の作品を紹介してくれたのだ。僕はすぐに、小津作品と恋に落ちた。

 授業で『秋刀魚の味』のいくつかの場面を繰り返し観て、その会話を理解しようとしたのを覚えている。「ひょうたん」というあだ名の酔っ払った教師が、自分がどんな魚を食べたか分からなかったのに、鱧という漢字だけは知っているという場面。それから中年男が、年下の妻について友人たちにからかわれる場面。

 何て温かみがあって、愉快で、興味をそそるんだろう。僕はそう思った。そして、宅配DVDサービスができるよりもずっと前の時代に、ある奇跡が起きた。『秋刀魚の味』に出会ってから約1カ月後に、全く同じ作品をイギリスのテレビ局が放映したのだ。録画して何度も観た僕は、この物語がこんなにも多くの感情をこれほど微妙に表現していることに打ちのめされた。

 僕は、カーチェイス絡みの映画が大嫌いだ。アメリカ映画がメロドラマ風に展開し始めたときは、部屋を出て行くことだってある。
『秋刀魚の味』では、娘の結婚式の場面はすべて省略されている。それなのに父親の感情は痛いほど伝わってくる。それに僕は感激した。

 何年も後になって、僕は自分が住んでいた東京・大田区で小津作品の多くが撮影されたと知ってびっくりした(例えば僕には、『秋刀魚の味』のワンシーンが池上線の駅で撮られたと分かる)。

 長い前置きを許してほしい。実は先日、ニューヨークで開かれた上映会で小津作品と感激の再会を果たしたばかりなのだ。僕がこの街を愛するのは、こういう最高の時を味合わせてくれることこそだ。

 2月22~27日にはロンドンでも小津作品の映画が上映されているが、僕はニューヨークで彼の無声映画のうち3つの作品を連日観られるという滅多にないチャンスに遭遇した。

 何より素晴らしいのは、この上映会では3人の作曲家が小津作品に曲を書き下ろし、上映中に生演奏されたことだ。その上、このイベントの入場料は無料だった!

小津.JPG

 僕は、寒さと雪と戦いながら上映会が開かれたワールド・ファイナンシャル・センターを目指した。この場所では毎冬、数多くのカルチャーイベントが開催されている。

 ここで映画の感想を述べるつもりはない。ただ、小津作品はすべて観る価値があるという僕の思いが、さらに強くなったということ以外は。

  僕が今回面白いと思ったのは、作曲家たちがそれぞれ違った雰囲気の曲を提供したことだ。ローリー・ゴールドストンは『出来ごころ』に尺八の音を取り入れ、「日本的」な味付けをした。ウェイン・ホービッツは『東京の女』にジャズのリズムを添えた。小津のジャズ好きに応えたのだろう。ロビン・ホルコムは『その夜の妻』にぴったりの感情的な音楽を作曲した。

 各々が小津作品に異なる反応を示していたのが興味深い。最近の映画には「曖昧さ」や「余韻」がないため、視聴者は皆同じような感想を抱くことになる。映画に操られているようで、僕はときどきイライラする。

『その夜の妻』では、1930年の丸の内を垣間見ることができて感動した(「一丁倫敦〔いっちょうロンドン〕」と呼ばれた時代について聞いたことはあったが見たのは初めてだった)。

 この映画では病気の娘の治療代を手に入れるため男が強盗を犯すのだが、カメラがだんだん手袋に近づき、次に手形を大写しにした理由が結局分からなかった。(僕を含めて)観た人みんなが「彼が現場に手形を残したに違いない」と思っただろう。実際は、映画の中で手形の意味は明らかにされない。

『東京の女』を見た後、1人の男性が僕のところにやって来て最後の場面はどういう意味なのかと聞いてきた。カメラが突然、冗談交じりに会話する2人の記者を映すシーンだ。この男性は、きっとこういう意味だと巧妙な自説を展開した。その説は面白かったものの明らかに違っていた。

 僕はすっかり小津に始めて会った頃に戻っていた。彼の作品についてもっと観たくなり、見ては考え、一呼吸おいて、再び小津の世界に思いをめぐらせるのだった。

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

中立金利は推計に幅、政策金利の到達点に「若干の不確

ワールド

米下院補選で共和との差縮小、中間選挙へ勢いづく民主

ビジネス

米ロッキード、アラバマ州に極超音速兵器施設を新設

ワールド

中国経済は苦戦、「領土拡大」より国民生活に注力すべ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:日本時代劇の挑戦
特集:日本時代劇の挑戦
2025年12月 9日号(12/ 2発売)

『七人の侍』『座頭市』『SHOGUN』......世界が愛した名作とメイド・イン・ジャパンの新時代劇『イクサガミ』の大志

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    人生の忙しさの9割はムダ...ひろゆきが語る「休む勇気」
  • 2
    【クイズ】17年連続でトップ...世界で1番「平和な国」はどこ?
  • 3
    日本酒の蔵元として初の快挙...スコッチの改革に寄与し、名誉ある「キーパー」に任命された日本人
  • 4
    戦争中に青年期を過ごした世代の男性は、終戦時56%…
  • 5
    イスラエル軍幹部が人生を賭けた内部告発...沈黙させ…
  • 6
    【クイズ】日本で2番目に「ホタテの漁獲量」が多い県…
  • 7
    台湾に最も近い在日米軍嘉手納基地で滑走路の迅速復…
  • 8
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙す…
  • 9
    トランプ王国テネシーに異変!? 下院補選で共和党が…
  • 10
    トランプ支持率がさらに低迷、保守地盤でも民主党が…
  • 1
    7歳の息子に何が? 学校で描いた「自画像」が奇妙すぎた...「心配すべき?」と母親がネットで相談
  • 2
    100年以上宇宙最大の謎だった「ダークマター」の正体を東大教授が解明? 「人類が見るのは初めて」
  • 3
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで墜落事故、浮き彫りになるインド空軍の課題
  • 4
    【最先端戦闘機】ミラージュ、F16、グリペン、ラファ…
  • 5
    128人死亡、200人以上行方不明...香港最悪の火災現場…
  • 6
    【寝耳に水】ヘンリー王子&メーガン妃が「大焦り」…
  • 7
    【クイズ】次のうち、マウスウォッシュと同じ効果の…
  • 8
    【クイズ】世界遺産が「最も多い国」はどこ?
  • 9
    【銘柄】関電工、きんでんが上昇トレンド一直線...業…
  • 10
    人生の忙しさの9割はムダ...ひろゆきが語る「休む勇…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎の存在」がSNSで話題に、その正体とは?
  • 4
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 5
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 6
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 7
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
  • 8
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」は…
  • 9
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 10
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story