コラム

「映画禁止ではなかった」サウジ映画館解禁の伝えられない話

2018年04月27日(金)15時15分

テレビが許されているのに、映画館が許されない理由

もちろん、イスラームでは映画は許されないと主張する人は今でも存在する。1965年にはじめてテレビ局が導入された際、反対する人たちが暴動を起こしたというお国柄だ。

サウジアラビアで主流を占めるワッハーブ派といわれる考えかたでは「人間であれ、動物であれ、魂を有するものの似姿をつくること(タスウィール)は、彫刻であれ、紙などに書かれたものであれ許されない(ハラーム)」とすることが多かった。したがって、写真も映画も絵画も全部ダメというわけだ。

実際、サウジだけでなく、中東の他の国でも映画館やビデオ屋が過激派によって襲撃されるという事件は頻繁に起きていた。

ただ、今や保守的といわれるイスラーム法学者でもその多くがテレビやSNSで顔を出して意見をいう時代であり、人間の似姿だからを理由に映画反対を唱えるのは圧倒的少数派といえる。

テレビが許されているのに、映画館がなぜ許されないのか。保守派が映画館に反対するのは別の理由がある。

サウジアラビアで映画館解禁がメディアで大きく取り上げられたころ、サウジアラビアの最高宗教権威、アブドゥルアジーズ・アールッシェイフ総ムフティーは、映画館は腐敗堕落したものであり、男女が交わる場となる恐れがあると主張した。これら保守的な宗教界重鎮の考えかたでは、テレビは家庭内で家族が見るものだから許されるけれど、映画館は、不特定多数の男女が同じ場所を共有することになるからダメというわけだ。

もちろん、上映される作品そのものの内容もあるだろう。イスラーム的に正しいものであるべきなのは当然だが、世界の、とくにハリウッドの映画産業はむしろそれとは正反対の方向を示している。これらが、宗教界が映画館を嫌悪する際の大きな根拠といえる。

しかし、当局はあえてこの宗教界の意見を無視して出た。席を男女別にしたり、男女で時間をわけたりするといった配慮もしなかったのである(少なくとも招待客のみの初日にかぎっていえば)。サウジアラビアでは公共の場が独身席と家族席にわけられていたり、独身男性と家族が入るのを時間や曜日で区別していることを考えれば、一歩も二歩も踏み込んだ措置といえる。

まあ、もともとサウジアラビアの現体制は、ワッハーブ派の権威たちの主張の多くを無視してきた歴史があるので、これ自体、けっして珍しい現象ではないのかもしれない。とはいえ、過激なはねっ返りが出てくることはありうるので、映画館やコンサート会場でテロが起きる可能性までは否定できないだろう。

プロフィール

保坂修司

日本エネルギー経済研究所理事・中東研究センター長。日本中東学会会長。
慶應義塾大学大学院修士課程修了(東洋史専攻)。在クウェート日本大使館・在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、近畿大学教授等を経て、現職。早稲田大学客員教授を兼任。専門はペルシア湾岸地域近現代史、中東メディア論。主な著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『新版 オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』『サイバー・イスラーム――越境する公共圏』(いずれも山川出版社)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』(いずれも岩波書店)など。

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