言語を旅する静かな「ラディカリズム」──多和田葉子と「母語の外」の文学【note限定公開記事】
Yoko Tawada’s Quiet Radicalism
TILIALUCIDA/SHUTTERSTOCK
<ドイツ在住の作家・多和田葉子は、「母語の外」を歩いてきた。最新の英訳エッセイで垣間見えるのは、その旅の核心にあるひとつの視点だ>
▼目次
1.言葉は「皮膚」であり、「胃袋」でもある
2.渡り鳥のように「言語」を旅する
3.「母語」の特権に挑む
4.自国にあっても「異邦人」あれ
1.言葉は「皮膚」であり、「胃袋」でもある
「私は袋に放り込まれるように日本語の中に生まれた」と、ドイツ在住の作家・多和田葉子は書いたことがある。「だから日本語は私にとって外皮となった。一方、ドイツ語は丸ごとのみ込んだ。それ以来、私の胃袋に収まっている」
この比喩が言語のヒエラルキーを示唆しているという考えに、多和田はあるインタビューで反論している。
母語は皮膚と同様に密着していて、剝がれ落ちることはない。対照的に、第2言語は意識的に消費される。咀嚼され、味わわれ、代謝される。中には完全に消化されまいと抵抗する外国語もある、と彼女は指摘する。
そういう言語は同化されず、喉や腹に不快にとどまる。一方、「肉」となり、やがて自分の肉体の一部となる言語もある。
見慣れたものと見慣れないものとの「ダンス」は、多和田の作品における一貫したテーマだ。
日本語あるいはドイツ語で書かれた彼女の小説では、一種の意図的な違和感を演出し(異化作用)、語り手と彼らを取り巻く世界との出会いを演出することで、読者も登場人物も見慣れたものを新たな視点で見ることを余儀なくされる。
多和田の小説『タリスマン』では、ある女性がイヤリングを護符と誤解する。
『ふたくちおとこ』では、日本人観光客グループがドイツ人のトリックスターに出会い、そのバイリンガルの駄じゃれと腹話術の妙技を楽しむと同時に困惑させられる。
多和田の世界では、誤読は必ずしも失敗ではない。
それは生成的な行為であり、言葉と意味、記号とそれが指し示すものとの結び付きが常に双方の交渉で成立することを示す方法なのだ。
2.渡り鳥のように「言語」を旅する
今年6月に英訳版が出たばかりのエッセイ集『エクソフォニー』で、多和田は意味の不安定さを探求のモードに変えている。
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【note限定公開記事】言語を旅する静かな「ラディカリズム」──多和田葉子と「母語の外」の文学
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