コラム

「いのちの電話」を自殺報道の免罪符にするな

2022年05月17日(火)11時30分

私の根が陰的にできていることがどのように作用しているのかは不明だが、私自身、過去何度も自裁の決意を持った。しかしその都度限界のところで踏みとどまった。これはもちろん私の症例に過ぎないが、主治医に相談して抗うつ剤を増量する化学療法を増幅させたからだ。

ここからもあくまで私の場合だと断って読んでいただきたいが、私は「いのちの電話」に一度も電話したことはないし、電話しようと思ったこともない。電話しなかった理由の一つは、私が自裁の誘惑に最もかられやすい深夜の時間帯には、ほとんどその営業がなされていなかったからだ。もちろん、「いのちの電話」の相談員が原則無給で必死に相談者を救おうとする努力が続けられていることについては、尊敬の念を持っていることを付記するものである。

強者の論理は逆効果

一方、「よりそいホットライン」については厚労省記載によるとフリーダイヤルで24時間対応している。自裁抑止に向けた努力は喫緊の課題であり、国を筆頭に様々な自治体やNPO等が不断の努力を行っている。これは当然の事、評価するべきだ。自裁はあってはならない。相談員に電話して、救える命が一人でもあれば、その意義は絶対に存在する。

しかし実のところ、自裁を決意する理由は千差万別であり、その人固有の複雑な諸問題からきている場合が多いし、理由は一つではなく相互的に絡み合っている場合も多い。自裁の理由は健康問題、経済問題、人間関係問題などと分類することは実のところ不可能ではないか。究極的には本人しか分からない問題ともいえる。それぞれの諸問題が不幸なことに重なって接触しており、これこそが原因である、と断定することこそ軽率に思える。そういった複雑性を、著名人の自裁報道にあって、記事の末尾に「いのちの電話」と附記すれば抑制的にではあるが或る程度センセーショナルに掻き立ててよい、と考えているのなら、それは自裁に向かうものの心理を全く理解していない行為である。「いのちの電話」は極めて重要だが、単にそれを文末に記載していれば所謂「後追い」が防げると考えているのなら大間違いだ。人の精神はそんなに単純ではない。

自裁をするかしないかのキワに立たされているものは、著名人の自裁報道に過敏に反応する。「これほどの有名人でも自裁するのなら、私もしてよいのではないか」と考える人がゼロであるとは、誰しもが否定するところであろう。率直に申せば、著名人の自裁報道は害悪でしかない。これを「いのちの電話」を附記して報道したとしても本質的にはそれが自裁を伝える報道である以上、あまり効果は無いように思える。なぜなら私もそうだが、幾ら記事の文末に「いのちの電話」へのアクセスが示されていても、既にその報道以前の段階で自裁に向けた決意は強く進行しているからだ。

プロフィール

古谷経衡

(ふるや・つねひら)作家、評論家、愛猫家、ラブホテル評論家。1982年北海道生まれ。立命館大学文学部卒業。2014年よりNPO法人江東映像文化振興事業団理事長。2017年から社)日本ペンクラブ正会員。著書に『日本を蝕む極論の正体』『意識高い系の研究』『左翼も右翼もウソばかり』『女政治家の通信簿』『若者は本当に右傾化しているのか』『日本型リア充の研究』など。長編小説に『愛国商売』、新著に『敗軍の名将』

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