コラム

日本の学校教育に足りないのは万年筆だ

2014年03月31日(月)09時00分

今週のコラムニスト:スティーブン・ウォルシュ

[3月25日号掲載]

 娘が小学校を卒業するお祝いに、万年筆を贈ることにした──友人からある日、そう聞かされた。なんて素晴らしい選択だろう。彼女の娘の将来の夢は、総理大臣になること。世界の指導者は条約に署名するのにボールペンやシャープペンシルを使ったりしない。早くから練習しておくに越したことはないではないか!

 とはいえ友人いわく、万年筆はいつでも使えるわけではない。彼女の娘も、授業や宿題に使えるのはシャープペンシルだけだ。なんてもったいない。万年筆を教育現場に取り入れれば、産業界が直面する革新性の行き詰まりから出生率の低下まで、日本の差し迫った社会問題の解決につながるかもしれないのに。

 私はよく、初めて日本に来たときの最大のカルチャーショックは何だったかと聞かれる。食べ物?お辞儀? 靴を脱ぐこと? いや、実は10代後半の若者が授業で鉛筆を使っていることだった。イギリスでは、鉛筆はまだペンを使えない幼い子供に使わせるもの。10代の若者たちが片手に鉛筆、もう片方の手に消しゴムを持って何かを書きなぐっている姿は、私の目には異様に映った。

 もちろん、子供に鉛筆を使わせることには万年筆に勝る多くの利点がある。

 私が子供の頃は、12歳になったら何でも万年筆で書かなければいけなかった。当時はまだペンの製造技術が発達していなかったから、指はいつもインクまみれだった。シャツの胸ポケットの周りに大きな黒い染みがあるのも、それを学校のワッペンで隠すのもいつものことだった。ノートも染みや汚れだらけで、書き間違いを線で消した痕が山ほどあった。

 それに比べて日本の学生のノート(とシャツ)は、きれいできちんとしている。教師や親にとってはいいことかもしれないが、子供にとってはどうだろうか。

 鉛筆書きのきれいなノートでは、何を間違えてどう直したかは分からない。発見と理解のプロセスが記録されていないのだ。残っているのは結果と正解、完璧なノートだけ。これは学ぶ機会の喪失と好ましくない思考習慣につながるようにも思える。子供は間違いを恐れ、リスクを回避するようになってしまう。

 こうした習慣がひいては金融や経済、そして革新を生む力に悪影響を及ぼしかねない。「失敗は前進のプロセス」と考え慣れていない子供は、進歩を生み出す冒険心や勇気を抱くこともないだろう。

 科学の進歩は理路整然とした正解からではなく、誤りや修正を通じて生まれる。失敗から答えを編み出すプロセスに慣れていない子供は新しいものに挑む勇気を失い、既存のものを真似するだけになってしまう。

■デジタル時代のインクの力

 スポーツの分野でも、失敗に慣れていないと慎重になり過ぎて本来の力を発揮できない。学校教育に万年筆を取り入れることで、日本人選手のハットトリックや金メダルもきっと増えるはずだ。

 若者が結婚や、子供を持つことを恐れているように見えるのも、同じ理由からかもしれない。学校の勉強で間違いをさんざん経験すれば、将来の約束を交わすのもさほど怖くなくなるだろう。面倒で思いどおりにいかない状況も、人生の大事な過程の一部と思えるようになる。

 今では書く作業もデジタルの時代になったが、実のところ万年筆の売り上げは以前より伸びている。私の学生時代よりずっと使いやすくなったし、インクで書くことの「威信」も高まっている。美しい蒔絵を施した万年筆を会議で取り出したら、羨望の的になること間違いない。

 私は政治家になるべきだったかもしれない。政治家は大きな問題に単純な解決策を考えるのが大好きだが、私の案はあの「3本の矢」よりシンプルだ。たった1本の万年筆があればいいのだから。大げさだと思われる方は、ぜひとも意見を送ってほしい。もちろん手書きで!

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

実質消費支出5月は前年比+4.7%、2カ月ぶり増 

ビジネス

ドイツ、成長軌道への復帰が最優先課題=クリングバイ

ワールド

米農場の移民労働者、トランプ氏が滞在容認

ビジネス

中国、太陽光発電業界の低価格競争を抑制へ 旧式生産
MAGAZINE
特集:トランプvsイラン
特集:トランプvsイラン
2025年7月 8日号(7/ 1発売)

「平和主義者」のはずの大統領がなぜ? 核施設への電撃攻撃で中東と世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「飲み込めると思った...」自分の10倍サイズのウサギに挑んだヘビの末路
  • 2
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 3
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコに1400万人が注目
  • 4
    【クイズ】「宗教を捨てる人」が最も多い宗教はどれ?
  • 5
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸…
  • 6
    ワニに襲われた直後の「現場映像」に緊張走る...捜索…
  • 7
    職場でのいじめ・パワハラで自死に追いやられた21歳…
  • 8
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた…
  • 9
    吉野家がぶちあげた「ラーメンで世界一」は茨の道だ…
  • 10
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 1
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で大爆発「沈みゆく姿」を捉えた映像が話題に
  • 2
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた発見の瞬間とは
  • 3
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 4
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 5
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 6
    「飲み込めると思った...」自分の10倍サイズのウサギ…
  • 7
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影して…
  • 8
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。…
  • 9
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコ…
  • 10
    砂浜で見かけても、絶対に触らないで! 覚えておくべ…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 4
    妊娠8カ月の女性を襲ったワニ...妊婦が消えた川辺の…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 7
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 8
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 9
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 10
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story