コラム

忙しい東京人を支える至福のおにぎりタイム

2012年02月28日(火)12時52分

今週のコラムニスト:マイケル・プロンコ

〔2月22日号掲載〕

 ある日の午後、湘南新宿ラインに乗ってうとうとしていたら、夢うつつに海岸が見えた。はっとして目をしばたたき、なぜ海の夢をと不思議に思って辺りを見回すと、すぐ近くで若い女性がサケのおにぎりにかじりついていた。

 彼女は済まなそうに会釈したけれど、東京ではおにぎりは人前で食べても構わないものの1つかもしれない。おにぎりは東京暮らしにうってつけのエネルギー源であり、ストレス解消法である。

 持ち運びできて実用的なおにぎりは、100円硬貨並みに普及している。1個か2個かばんに放り込んでおけば、いつでもどこでも食べられる。私が少し早めに教室に行くと、学生たちは急いでおにぎりを包んでかばんに押し込む。授業の後で取り出してまたかぶりつくのだ。

 どんな日でも、東京人の半数はおにぎりを手にしているんじゃないだろうか。コンビニでは冷蔵ケースの白い棚に並び、急いでいる客がさっと取れるようになっている。ほとんどの店で一番長い壁に沿った特等席に陣取っているおにぎりに比べたら、弁当でさえかさばって不便に思える。朝から毎日、大量のおにぎりがせっせと作られている光景を私は思う。おにぎりメーカーがストを起こしたら、東京は機能しなくなるだろう。

 米にのりや魚に梅干しと、日本料理に欠かせない食材を組み合わせたおにぎりは、日本の食文化における俳句のようだ。創意工夫にあふれた東京の消費者市場に駆り立てられて、おにぎり文化は拡大してきた。ツナやマヨネーズ、グルメが喜ぶ照り焼きや炭火焼きチキンといった変わり種もある。しかしおにぎりは基本が大事──最高の味付けは空腹だ。

 そうはいっても手触りも重要だ。手に持ったときの、ストレス解消用のボールのような感触がとてもいい。のりがしけるのを防ぎ、手で持って食べられるようにする折り紙のようなフィルム、あれを考案した人は人間国宝に認定されるべきだ。東京ではみんな1日にたくさんの物に触れるが、本当に満足感を味わえるのは携帯電話とおにぎりだけかもしれない。

■1人の人間に戻れるひととき

 おにぎりはサンドイッチに近い。でも、日本の心が籠もっていないサンドイッチがおにぎりに取って代わることはないだろう。サンドイッチはアメリカ的過ぎる──オープンでかさばってばらけやすい。食べるときには大口を開ける。東京の文化にはおにぎりのほうがはるかに合う──コンパクトできちんとして、少しずつかじれて、中に小さな具が隠れている。それは食べ物というより日々の文化的習慣である。

 おにぎりは平安時代からあるんだぞ、と酔っぱらったサラリーマンが深夜に焼きおにぎりを食べながら話してくれたことがある。東海道を行き交う武士や飛脚もおにぎりを持っていた。東京のせわしなさには武士や飛脚の気質の名残もあるかもしれないが、忙しい日の東京人にとってはおにぎりだけが伝統文化とのつながりかもしれない。

 東京人がおにぎりを頬張ってひと息ついている姿はいいものだ。公園のベンチや駅のプラットホームで、片手におにぎり、片手にお茶を持ってくつろいでいる人を見ると、都会の風景に埋没していた個人がふいに浮き上がってくる。

 物価が高くて、世界のグルメ料理がより取り見取りの東京でおにぎりを食べるのは、手っ取り早い反乱だ。大量消費の波に流されるのを拒み、東京の街の複雑さに逆らって、「ちょっと腰を下ろしてひと握りのご飯を食べられれば、ほかは何も要らない」と言うようなものだ。

 その特別なおにぎりタイムにほんの何口かかじりつき、東京人はようやく、最も基本的な欲求を満たすことができる。奥深くに隠されたささやかなごちそうとともに満足感をかみしめながら。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米中経済関係は安定、来月の首脳会談で維持へ=UST

ワールド

米イラン協議、パキスタンの仲介正念場に サウジへの

ビジネス

短期インフレ期待上昇、ガソリン価格伸び見通し4年ぶ

ワールド

トランプ氏「今夜文明滅びる恐れ」、イラン交渉期限迫
MAGAZINE
特集:トランプの大誤算
特集:トランプの大誤算
2026年4月14日号(4/ 7発売)

国民向け演説は「フェイク」の繰り返し。泥沼化するイラン攻撃の出口は見えない

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    米特殊部隊、米空軍兵士救出「大成功」に残る多くの疑問
  • 2
    「南東部と東部の前線で480平方キロ奪還」とウクライナ軍司令官 ロシア軍「⁠春の​攻勢」は継続
  • 3
    米軍が兵器を太平洋から中東に大移動、対中抑止に空白
  • 4
    「地獄を見る」のは米国か──イラン地上侵攻なら革命…
  • 5
    「王はいらない」800万人デモ トランプ政権への怒り…
  • 6
    【後編】BTS再始動、3年9カ月の沈黙を経て──変わる音…
  • 7
    人口減の自治体を救う「小さな浄水場」──誰もが常に…
  • 8
    5日間の寝たきりで髪が...ICUに入院した女性を襲っ…
  • 9
    「人間の本性」を見た裁判官が語った、自らの「毒親…
  • 10
    スパイス企業の新戦略...エスビー食品が挑む「食のア…
  • 1
    米特殊部隊、米空軍兵士救出「大成功」に残る多くの疑問
  • 2
    イラン戦争の現実...アメリカとイスラエル、見え始めた限界
  • 3
    「考えの浅い親」が子どもに言ってしまっている口ぐせ・ワースト1
  • 4
    「根底にあるのは怒り」...日本の「3Dプリンター住宅…
  • 5
    攻撃開始日も知っていた?──イラン戦争を巡る巨額取引…
  • 6
    「南東部と東部の前線で480平方キロ奪還」とウクライ…
  • 7
    なぜイスラエルは対イラン戦争を支持するのか...「イ…
  • 8
    【銘柄】イラン情勢で一躍脚光の「NEC」 防衛・宇宙…
  • 9
    「高市しぐさ」の問題は「媚び」だけか?...異形の「…
  • 10
    人口減の自治体を救う「小さな浄水場」──誰もが常に…
  • 1
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 2
    ロシア政府、痛恨のミス...プーチンの「健康不安説」を裏付けるような動画を公式に投稿してしまう
  • 3
    米特殊部隊、米空軍兵士救出「大成功」に残る多くの疑問
  • 4
    「根底にあるのは怒り」...日本の「3Dプリンター住宅…
  • 5
    メーガン妃、娘リリベット王女との新ショット公開...…
  • 6
    「ノーと言えるスペイン」の背景に国防意識...次期ス…
  • 7
    キャサリン皇太子妃、ナイジェリア大統領夫妻出迎え…
  • 8
    数時間以内に死に至ることも...若者の間で集団感染が…
  • 9
    「日本より、自分の国(フランス)を心配すれば?」…
  • 10
    米軍も防ぎきれないイランのドローン攻撃──イラン製…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story