コラム

大雪が見せてくれた東京の「別の顔」

2014年03月25日(火)12時34分

今週のコラムニスト:マイケル・プロンコ

〔3月18日号掲載〕

 多くの東京人と同様に、私も通勤の大変さについてはたびたび文句を言ってきた。だが2月、大雪に見舞われた東京で身動きが取れなくなる体験をした以上、もう文句を言うことはないだろう。あの日は私の知る限り、東京がこれまでで最も快適さを手放した1日だった。

 吹雪の中、私が乗ったJR中央線の電車は駅の間で止まってしまった。乗客たちがそろってパニック状態になっているのが伝わってきた。みんな、自分たちが不快な状況に置かれそうになっていることに気付いたのだ。

 3時間にも及ぶ電車の遅れが乗客にとって大きないら立ちの種になるのは、世界のどこに行っても同じだ。だが快適さの飽くなき追求が至上命題とされる東京では、3時間の遅れは既存の秩序に対する犯罪みたいなもの。東京は不快感を避け、快適さを保つことを旨として築かれた町だ。東京人には「快適さ中毒」の気味がある。

 東京人は不快な思いをしないための小技の達人だ。彼らは「快適さレーダー」のアンテナを張り、電車では最も居心地のいい席を、待ち合わせの際には最も暖かい(もしくは涼しい)場所を、最も早く着くエレベーターを見つけ出す。逆にあまり快適でない場所、強い日差しの入る窓の近くや一番遅いレジの列からはすぐに離れる。そして残っているのは私のような人間だけ、ということになる。

 だがあの大雪の日、私にも運が巡ってきた。いや、私にもついに、不快を避ける東京的な勘が身に付いたのかもしれない。私は電子書籍を持ってきていたし、携帯電話はフル充電されていたし、折り畳み傘を入れるビニール袋も持参していた。東京の達人たちにとっては、平均レベルの備えだろうけれど。

 あの雪の日に限って私は駅のトイレで用を足し、ホームでは間違いなく座れそうな位置で電車を待った。おかげで吉祥寺と三鷹の駅間で電車が止まり、いつ運行が再開されるか分からない状態でも焦ったりはしなかった。ぼうこうは空っぽだし、暖かい座席に居心地よく座っていて、読むものはいくらでもある。足りないのはグラス1杯のワインくらいだった。

■意外に打たれ強かった東京人

 周りの人々はみんな、すごい勢いでメールを打っていた。できることなら、彼らが自分たちの置かれた状況についてどんなことを書いているのか読んでみたかった。彼らのメールを集めたら、不快さを避けたがる東京人の精神構造について立派な論文が書けるに違いない。東京には、不快感や不便を回避することを中心にして、日々の生活や人生をきっちり管理している人ばかりのようだから。

 そんな彼らが電車の中に閉じ込められたのだ。これで彼らも他の都市の厳しい現実を身をもって知るだろうと私は思った。ところが予想に反し、電車内で文句を口にする人は誰もいなかった。結婚披露宴に行くために盛装していた女性も、重たいスポーツバッグを抱えた大学生も、制服姿で震えている女子高生たちも、みんな冷静だった。これがヨーロッパのどこかの町だったら、通勤客は政府への抗議デモを起こすかもしれないし、ニューヨークだったら弁護士を呼ぶところだ。

 大雪は、快適さ中毒といういつもの東京の表層を◯ぎ取り、別の姿を見せてくれた。便利さや効率性の価値をうたう広告は見えなくなり、忍耐と根気という古い美徳がよみがえったようだった。普段は不快さを避けることをとかく重視している東京人だが、不便な状態を十分に許容することもできるのだ。

 駅から家までの雪道を、輝かしい冒険をしている気分で私は歩いた。翌朝、家の前の道では住民総出で(みんなほかにもっと楽な予定があったかもしれないが、それは後回しにして)何時間もかけて雪かきをした。そしてもしかすると少しだけ、快適な道が出来上がった。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米国株式市場=連日最高値、エヌビディア急伸 ハイテ

ビジネス

エヌビディア時価総額5兆ドル目前、政府向けスパコン

ワールド

ブラジル・リオで麻薬組織掃討作戦、過去最悪の64人

ビジネス

NY外為市場=円が上昇、日米当局者の発言で財政懸念
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【話題の写真】自宅の天井に突如現れた「奇妙な塊」にSNS震撼、誰もが恐れる「その正体」とは?
  • 2
    庭掃除の直後の「信じられない光景」に、家主は大ショック...ネットでは「ラッキーでは?」の声
  • 3
    コレがなければ「進次郎が首相」?...高市早苗を総理に押し上げた「2つの要因」、流れを変えたカーク「参政党演説」
  • 4
    楽器演奏が「脳の健康」を保つ...高齢期の記憶力維持…
  • 5
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦…
  • 6
    「ランナーズハイ」から覚めたイスラエルが直面する…
  • 7
    「何これ?...」家の天井から生えてきた「奇妙な塊」…
  • 8
    「死んだゴキブリの上に...」新居に引っ越してきた住…
  • 9
    【クイズ】開館が近づく「大エジプト博物館」...総工…
  • 10
    シンガポール、南シナ海の防衛強化へ自国建造の多任…
  • 1
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 2
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 3
    中国レアアース輸出規制強化...代替調達先に浮上した国は?
  • 4
    超大物俳優、地下鉄移動も「完璧な溶け込み具合」...…
  • 5
    【話題の写真】自宅の天井に突如現れた「奇妙な塊」…
  • 6
    【クイズ】1位は「蚊」...世界で「2番目に」人間を殺…
  • 7
    熊本、東京、千葉...で相次ぐ懸念 「土地の買収=水…
  • 8
    報じられなかった中国人の「美談」
  • 9
    【2025年最新版】世界航空戦力TOP3...アメリカ・ロシ…
  • 10
    庭掃除の直後の「信じられない光景」に、家主は大シ…
  • 1
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 2
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になりやすい人」が持ち歩く5つのアイテム
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    「大谷翔平の唯一の欠点は...」ドジャース・ロバーツ…
  • 5
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 6
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレ…
  • 7
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 8
    バフェット指数が異常値──アメリカ株に「数世代で最…
  • 9
    「日本の高齢化率は世界2位」→ダントツの1位は超意外…
  • 10
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story