コラム

中東研究のオリンピックを訪ねて

2010年07月27日(火)11時21分

 酷暑のバルセロナに来ている。

 いやいや、夏休みをエンジョイしているわけではない。四年に一度の、世界中東学会がこの地で開催されているからだ。自分の研究が世界水準にあるかどうか確認する機会であるとともに、若手研究者の国際舞台デビューの場でもある。一週間にわたるこの国際学会には、総勢50人近い日本人中東研究者が参加した。主催者は「中東研究者のオリンピック」と自負する。

 開催国からの参加者が多いのもオリンピックと同じだ。特にスペインをはじめEUは、9-11以降イスラーム世界とヨーロッパの対話、異文化交流を積極的に進めてきた。地中海の北の南欧と南の北アフリカ、東の中東から学者が一堂に介する交流プロジェクトに、EUが学術予算をつぎ込むケースは、多い。EU内の中東系移民の問題も、研究を促す要因だ。

 中東研究の世界では、統計や理論を重視するアメリカ系の学派と、歴史や哲学に古くからの実績をもつヨーロッパの学派で分かれる。昨今つくづく感じさせられるのは、戦後のイラクやアフガニスタンで米軍とともに現地に入り、情報を独占的に得ることのできる、米国のシンクタンクの圧倒的な強みだ。戦地でなくとも、国レベルの対米関係の強さと資金力をベースに、組織的に調査研究を進めるアメリカの研究プロジェクトは多い。

 それに対して、日本の学問の強みは何かが、真剣に問われている。日本人の研究は、良くも悪くも「オタク」だ。事実関係を細かく積み上げた上に議論が成り立っている。悪くいえば「よく知っている」だけになりがちだが、今回のバルセロナの学会では、欧米の同業者から「日本の研究は実証がしっかりしていて、いいねえ」とお褒めの言葉をいただいた。ありきたりのデータ、実態から遊離した統計をもとに議論を組み立てるアメリカ系の研究に対して、重箱の隅を突付くと揶揄されながらも、日本のオタッキーな研究手法は結構重要なのである。

 最近は「オタク」の偉大さに気づかず、アメリカ型の頭でっかちな理論研究に走る学生が多い。くわえて文科省が日本の研究者の「国際的評価」ばかりを気にするものだから、学者は自分の研究手法をアメリカ型に刷り合わせなければならなくなっている。まさにナンバー1ではなく日本にとってオンリー1の研究とはなにか、が失われつつある。ヨーロッパが着々と独自の中東研究を進めている、というのに。

 そんなことを、リゾート感溢れるビーチを横目で眺めながら、ドイツやイギリスの学者相手に激論しつづけるなんて、やはりオタクじゃないと研究者は務まらない。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米政権「トランプ氏の交渉術の勝利」、カナダのデジタ

ワールド

EU、米関税一律10%受け入れの用意 主要品目の引

ビジネス

ECB総裁「世界の不確実性高まる」、物価安定に強力

ワールド

トランプ氏、7月7日にネタニヤフ首相と会談 ホワイ
MAGAZINE
特集:トランプvsイラン
特集:トランプvsイラン
2025年7月 8日号(7/ 1発売)

「平和主義者」のはずの大統領がなぜ? 核施設への電撃攻撃で中東と世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた発見の瞬間とは
  • 2
    普通に頼んだのに...マクドナルドから渡された「とんでもないモノ」に仰天
  • 3
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。2位は「身を乗り出す」。では、1位は?
  • 4
    「パイロットとCAが...」暴露動画が示した「機内での…
  • 5
    砂浜で見かけても、絶対に触らないで! 覚えておくべ…
  • 6
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 7
    ワニに襲われ女性が死亡...カヌー転覆後に水中へ引き…
  • 8
    飛行機のトイレに入った女性に、乗客みんなが「一斉…
  • 9
    自撮り動画を見て、体の一部に「不自然な変形」を発…
  • 10
    顧客の経営課題に寄り添う──「経営のプロ」の視点を…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で大爆発「沈みゆく姿」を捉えた映像が話題に
  • 3
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門家が語る戦略爆撃機の「内側」と「実力」
  • 4
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 5
    定年後に「やらなくていいこと」5選──お金・人間関係…
  • 6
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影して…
  • 7
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 8
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた…
  • 9
    サブリナ・カーペンター、扇情的な衣装で「男性に奉…
  • 10
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    妊娠8カ月の女性を襲ったワニ...妊婦が消えた川辺の…
  • 6
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 7
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 8
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 9
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 10
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story