コラム

悪性インフレで「貧困と格差の時代」がやってくる

2014年04月16日(水)15時49分

 株価が下がり続け、アベノミクスの減速が目に見えてきて、日銀の追加緩和を求める声が強まっているが、黒田総裁はそのそぶりを見せない。それはそうだろう。彼が総裁に就任してからの1年で、株価は上がったが、実体経済は何も改善していない。物価は上がったが、ほとんどは円安とエネルギー価格の上昇によるものだ。

 黒田氏が誇るように失業率は完全雇用(自然失業率)に近い水準に下がったが、それはインフレで実質賃金が下がったからだ。2月の実質賃金は年率-1.9%と、黒田総裁になってから下がり続けている。インフレで賃下げが行なわれ、労働者から資本家への所得移転が行なわれているのだ。

 エネルギー価格と消費者物価指数の推移(出所:総務省)
エネルギー価格と消費者物価指数の推移(出所:総務省)

 その悪影響も、低所得層に集中している。上の図は消費者物価指数(CPI)の動き(右軸)にエネルギー価格と電気代(左軸)の動きを重ねたものだが、CPIが3ヶ月ぐらい遅れてほぼ重なる。今のインフレは日銀の量的緩和とは無関係の輸入インフレ、しかもエネルギー価格が1割近く上がったことによる悪性インフレなのだ。

 特にひどいのが、電気代の値上がりだ。日本の電気代は2010年まで下がり続けていたが、震災後に民主党政権が原発を止めてから1割以上あがった。それでも2013年3月期の電力会社の決算は、9電力合計で1兆3420億円の赤字だから、まだ燃料費の増加をすべて転嫁していない。これは総括原価主義のもとでは、いずれ料金に転嫁されるので、電気代はさらに1割ぐらい上がるだろう。

 電気代は、所得に関係なくかかるので逆進性が強い。課税所得以下の世帯でも電気代は取られ、標準家庭で年間約10万円だ。これは年収1000万円の世帯では1%だが、生活保護世帯では7~8%の負担になる。ビョルン・ロンボルグによれば、ドイツでは再生可能エネルギーの負担金で電気代が80%も値上がりし、690万世帯が「エネルギー貧困」の状態にあるという。

 それだけではない。日本の社会保障会計は破綻しており、鈴木亘氏の試算によれば、今の制度のまま社会保障給付を増やすと、2025年には国民負担率は50%を超え、2050年には可処分所得(税や社会保険料を引いた所得)は、現在のほぼ半分になるという。つまり現役世代はこれから絶対的に窮乏化するのだ。

 小泉政権の時代にも「格差拡大」といわれたが、あの時代に成長率は上がり、所得格差(ジニ係数)は下がった。労働生産性に応じて所得に格差がつくのは、労働のインセンティブを強める点でむしろ望ましい。

 しかし、いま生じている世代間格差は生まれた時期による無意味な格差で、しかも働く人から働かない年金生活者に所得を移転するものだ。さらにエネルギー政策に無策の安倍政権が、民主党政権の反原発政策を転換できず、貧困層に電気代で「課税」している。

 エネルギーも社会保障も、政治的には厄介な問題である。原発の再稼動には反対派が多く、自民党内でも異論が強い。社会保障に至っては、与野党一致して今の制度を変える気がない。投票する人の過半数が60歳以上だからである。

 党内基盤の弱い安倍首相は、こういう困難な問題を避けて、憲法改正や集団的自衛権などに熱心だ。そんな彼が「私は規制の岩盤に穴をあけるドリルになる」などといっても、失笑を買うだけだ。閣議決定もいらない原発再稼動のできない首相が、膨大な法改正の必要な規制改革特区なんかできるはずがない――官僚はみんなそう思っているから動かない。

 日本は成長の時代から停滞の時代へ、そしてこれからは貧困と格差の時代に入ってゆく。それは経済が成熟するにつれて、ある程度は避けられないことだが、わざわざ「輪転機ぐるぐる」で悪性インフレを増幅するアベノミクスは、貧しい人をますます貧しくする政策である。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ロシア、ウクライナ北東部スムイの国境に「安全地帯」

ビジネス

FRB利下げ再開は7月、堅調な雇用統計受け市場予測

ビジネス

トランプ氏、FRBに利下げ再要求 米経済は「移行段

ビジネス

米雇用統計、4月予想上回る17.7万人増 失業率4
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    「2025年7月5日に隕石落下で大災害」は本当にあり得る? JAXA宇宙研・藤本正樹所長にとことん聞いてみた
  • 3
    インドとパキスタンの戦力比と核使用の危険度
  • 4
    日々、「幸せを実感する」生活は、実はこんなに簡単…
  • 5
    目を「飛ばす特技」でギネス世界記録に...ウルグアイ…
  • 6
    宇宙からしか見えない日食、NASAの観測衛星が撮影に…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    金を爆買いする中国のアメリカ離れ
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 5
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 8
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が…
  • 9
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 10
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 9
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 10
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story