コラム

村木厚子氏が闘う検察より手ごわい敵

2010年10月21日(木)17時11分

 大阪地検特捜部の冤罪事件は、検察官が逮捕される一方、被告だった村木厚子氏(元厚生労働省局長)が内閣府政策統括官に栄転する逆転劇となった。彼女は、保育所に申し込んでいるのに入れない待機児童の解消を目指す「待機児童ゼロ特命チーム」の事務局長に就任し、その初会合が21日に開かれた。しかし具体的な政策は保育所を増やす「特区」ぐらいしかなく、財源もない。果たしてこれで待機児童は解消できるのだろうか。

 まず問題は、その数である。厚労省の公式統計では、待機児童は全国で4万6000人ということになっているが、これには認可保育所に入れないため無認可の施設に入っている児童が23万人、そのほかにあきらめて入所の申し込みをしていない待機児童が、厚労省のアンケート調査によれば全国で約80万人いる。合計すると100万人を超え、認可保育所の児童総数204万人のほぼ半分の児童が待機していることになる。

 なぜこのように多くの待機児童が発生し、しかも年々増えているのだろうか。厚労省は、待機児童の原因を「女性の社会進出が増えたのに加え、最近では経済情勢が悪化し、これまで専業主婦であった方でも家計のために仕事に出たいという方が増えています」と、まるで他人事のように説明しているが、これは本当だろうか。

 たとえ需要が増えたとしても、市場メカニズムが機能していれば、価格が上がって供給が増えるはずだ。そうならないのは、保育料がコストより低く抑えられているためだ。たとえば東京都の公立保育所の保育料は、ひとり月額2万円だが、その運営費は平均50万円。つまり児童ひとりに48万円の補助金が投入されているのだ。私立保育所(社会福祉法人)の場合にも、月2万円の保育料に対して補助金が28万円も投入されており、保育所は公立・私立を問わず、税金で運営されている公共事業のようなものである。

 月2万円というのは食費より安いので、必要のない親も申し込む。その結果、超過需要が発生して大量の待機児童が発生するのだ。80万人の需給ギャップを埋めるために保育所を増設しようとすると、全国で年間2兆円から3兆円の税金投入が必要だというのが、鈴木亘氏(学習院大教授)の推計である。

 しかし国や地方自治体の財政が苦しいため、このような財政負担はできない。それなら民間の参入を認めればいいはずだ。非営利組織(NPO)や株式会社で運営すれば、コストは認可保育所よりはるかに低く、補助金も半分以下ですむという。しかしこうした企業の新規参入には、全国保育協議会などの「保育三団体」とよばれる業界団体が強く反対してきたため、公立および社会福祉法人以外の保育所は、全体の2%しかない。

 業界団体が規制改革に反対するのは当然である。今のように慢性的に供給不足になっていれば、親は保育所を選べないので、どんな劣悪な保育をしても文句をいわない。コストがいくらかかっても税金で補填してもらえるので、経営を効率化しなくてもいい。競争がないから営業努力をする必要がなく、園長が役所に陳情して補助金を取ってくるのが唯一の企業活動である。

 要するに待機児童は、厚労省の説明するような自然現象ではなく、このように価格メカニズムを無視して異常に低い価格で保育サービスを提供し、その差額を税金で補填する社会主義的システムのせいなのだ。世界各国を見ても、慢性的な供給不足(行列)が起こるのは社会主義国に特有の現象だ。それをなくす方法は、社会主義を解体して民間企業の参入を促進するしかない。これは20世紀の歴史が証明したことである。

 だから村木氏がこれから闘う相手は、彼女を冤罪に追い込もうとした大阪地検特捜部と同じ国家権力である。全国の保育所で働く人の数は、自治体も含めて50万人以上と大阪地検の1万倍以上の規模だ。もちろん敵は保育士ではなく、天下り先を守る厚労省の官僚とそれに寄生する業界団体である。果たして村木氏は自分の出身母体である厚労省の既得権に切り込んでいけるのか――それは検察との法廷闘争以上に困難な闘いだろう。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

バーゼル委、銀行監督規則を強化 気候変動関連リスク

ワールド

韓国財政、もはや格付けの強みではない 債務増抑制を

ワールド

米最高裁、トランプ氏免責巡り一定範囲の適用に理解 

ワールド

岸田首相、5月1─6日に仏・南米を歴訪
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された米女優、「過激衣装」写真での切り返しに称賛集まる

  • 3

    中国の最新鋭ステルス爆撃機H20は「恐れるに足らず」──米国防総省

  • 4

    今だからこそ観るべき? インバウンドで増えるK-POP…

  • 5

    未婚中高年男性の死亡率は、既婚男性の2.8倍も高い

  • 6

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 7

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    心を穏やかに保つ禅の教え 「世界が尊敬する日本人100…

  • 10

    「鳥山明ワールド」は永遠に...世界を魅了した漫画家…

  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた「身体改造」の実態...出土した「遺骨」で初の発見

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 9

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 10

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 4

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこ…

  • 7

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 8

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 9

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 10

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story