最新記事

BOOKS

日系ブラジル人はサンバを踊れない?

群馬県大泉町を取材し、定住したブラジル人と町民との不器用だが愛しい関係性を描いたノンフィクション『移民の詩』

2016年3月12日(土)15時12分
印南敦史(書評家、ライター)

移民の詩――大泉ブラジルタウン物語』(水野龍哉著、CCCメディアハウス)は、「ブラジル人の町」で取材を行い、そのコミュニティで生きる日系ブラジル人たちの過去、現在、苦悩、喜びなどを浮き彫りにした質の高いノンフィクション。

 たしかテレビで見たのだったと思うが、その町のことは私も知っていた。おそらく、そういう人は少なくないはずだ。マスコミに登場したことは一度や二度ではなく、相応の露出度がこの町にはあるからだ。

 とはいえそれは、ファクトに基づく知識ではなく、漠然としたイメージでしかなかったのではないだろうか。テレビで伝えられるものには限界があるのだから当然だが、これまで私たちには、外形だけしか見えていなかったのかもしれないということだ。だからこそ、あえてそこに踏み込み、そこで暮らす人々と交流を持ち、さまざまなエピソードを引き出してみせた本書の意義は大きい。


 群馬県邑楽(おうら)郡、大泉町(まち)。県南東部の端っこ、利根川を挟んで埼玉県熊谷市と向き合うこの町は、全国で最も外国人の比率が高い市町村の一つとして知られている。
 町民約四万人のうち、外国人住民の比率は十五パーセント。その約七割、すなわち町民の十人に一人が日系を中心としたブラジル人である。無論、ブラジル人の比率も日本で一番高い。(7ページより)

 1990年代の終わりごろ、町で行われた日系ブラジル人たちによるサンバパレードについての記事を全国紙の社会面で見つけたことを発端として、著者はこの町に関心を持つようになる。つまり最初は、この町のことを「なんとなく知っている」人たちとさほど変わらなかったわけだが、「いつかこの町の人々とじっくり膝を突き合わせ、その人間模様を描いてみたい」という気持ちは、著者の内部でどんどん大きくなっていったようだ。

【参考記事】郊外の多文化主義(1)

 ところで大泉町といえば、やはりサンバである。単純に考えれば、サンバが群馬県の端っこの町の象徴であるという事実は、それ自体がちょっとおかしい。しかし町公認のサンバチームがあることからもわかるとおり、町がそのイメージを積極的に打ち出している。だから、結果的には"そういうこと"になっているのだ。だが日系ブラジル人女性への取材を進めるなかで、この町に暮らす日系ブラジル人の人々とサンバの関係性についての意外な事実が明らかにされる。


 ブラジル人であれば誰もが楽しくサンバを踊るだろう。日本人は皆、自然にそう考える。ところが彼女は、それまでサンバを一度も踊ったことがなかった。
「ブラジルでは日系人、カーニバルにはほとんど参加しないですね。(中略)サンバ踊れない、だけど皆の楽しみのため、ストレスなくすためならお祭り出るのはとてもいいこと。うまくなくていい、そういう気持ちで、友だちと話してすぐやることにしました。
 だから私たち、パレードの時はサンバの振りしただけ(笑)。ああいう腰して踊る、できない。格好も、肌があまりでない服、私着ました。でないと、母は私と縁切ったかもしれない(笑)」(39ページより)

 大泉町へ行けば本場のサンバを体験できるというのは、おそらく多くの人にとっての共通認識だ。だから、この話には非常に驚かされるのだが、日系ブラジル人として生まれ育ち、ほどなく日本で暮らすようになった彼らがサンバを知らなかったとしても、たしかにそれは不思議なことではない。

 そして、もしかしたら同じことは彼らのキャラクターについてもいえるかもしれない。ブラジル人には「明るく陽気」という、まるで常に笑い続けているようなイメージがある。事実、本書を読んでいても、そのあっけらかんとした考え方には痛快さをおぼえることがある。

 しかし、見誤るべきでないのは、「それが彼らのすべてではない」という当たり前のことである。たとえば十歳で大泉町の小学校に編入したパウロさんの体験には、それがはっきりと現れている。女の子から人気が高かった彼は男の子たちの嫉妬をかい、陰湿ないじめを受けたのだという。こういうことは対象が日本人であったとしても起こりうることだが、一度いじめが激化すると、女の子たちも含め周囲は巻き込まれるのを恐れて距離を置くようになっていくものだ。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

エヌビディア、アーム保有株44%削減 中国ウィーラ

ワールド

米の鉱物資源協定案、ウクライナ防衛につながらず=ゼ

ワールド

ウクライナ和平交渉、欧州は参加せず 米特使が発言 

ワールド

米ロ外相が電話会談、「一方的な障壁」の撤廃を協議
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ガザ所有
特集:ガザ所有
2025年2月18日号(2/12発売)

和平実現のためトランプがぶち上げた驚愕の「リゾート化」計画が現実に?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 2
    週に75分の「早歩き」で寿命は2年延びる...スーパーエイジャーが実践する「長寿体質」の習慣
  • 3
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン...ロシア攻撃機「Su-25」の最期を捉えた映像をウクライナ軍が公開
  • 4
    イスラム×パンク──社会派コメディ『絶叫パンクス レ…
  • 5
    「精緻で美しい奇跡」ノーベル賞作家ハン・ガン『別…
  • 6
    「映画づくりもアルゴリズムの言いなりに...」アカデ…
  • 7
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 8
    36年ぶりの「絶頂シーン」...メグ・ライアンの「あえ…
  • 9
    身元特定を避け「顔の近くに手榴弾を...」北朝鮮兵士…
  • 10
    キリスト教団体がバンス米副大統領を猛批判...「イエ…
  • 1
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だった...スーパーエイジャーに学ぶ「長寿体質」
  • 2
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 3
    メーガン妃の最新インスタグラム動画がアメリカで大反発を買う...「イメージアップを図るため」
  • 4
    2025年2月12日は獅子座の満月「スノームーン」...観…
  • 5
    iPhoneで初めてポルノアプリが利用可能に...アップル…
  • 6
    【徹底解説】米国際開発庁(USAID)とは? 設立背景…
  • 7
    研究者も驚いた「親のえこひいき」最新研究 兄弟姉…
  • 8
    極めて珍しい「黒いオオカミ」をカメラが捉える...ポ…
  • 9
    週に75分の「早歩き」で寿命は2年延びる...スーパー…
  • 10
    「だから嫌われる...」メーガンの新番組、公開前から…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
  • 9
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
  • 10
    戦場に「杖をつく兵士」を送り込むロシア軍...負傷兵…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中