最新記事

BOOKS

日系ブラジル人はサンバを踊れない?

2016年3月12日(土)15時12分
印南敦史(書評家、ライター)

 あるとき、彼が女の子の一人に話しかけようと少し体に触れた。すると彼女は、突然ビンタでも喰ったかのように大声で泣き出してしまった。彼は体が震えるほどの衝撃を受けた。(61ページより)

 祖父母からは日本のよいところばかり聞かされ、日系人はブラジルで信頼されていたため、もともと日本への憧れがとても強かったのだという。「日本は天国のようなところで、いい人ばかりだと思って」いたからこそ、期待感とのギャップが大きすぎたということだ。

【参考記事】このシンプルさの中に、日系人のアイデンティティーが息づく

 イメージと現実とのギャップ、そこに絡みつく誤解や偏見については、大泉町の町長も認めている。


 メディアを通して見れば、この町は異国情緒がふんだんで面白いところ、というイメージになるでしょう。だが正直に申し上げれば、現実には極端な陽と陰の部分が存在しています。
 今この町の日系ブラジル人の七割強は、十年以上在住している方々です。ですから近年は、彼らがここに住み始めた頃には起きえなかったような問題が生じています。(144ページより)

 具体的には、かつては日系人との「交流」が課題であったものの、時代の経過とともに「共生」に向けた取り組みを考えなければならなくなったのだという。日系人の定住化が進んだ結果、税金、教育、医療、DVなどさまざまな分野で問題が発生し、あらためて共生に向けた対策を強化する必要に迫られることになったということだ。

 ただ、こういうことばかりを強調する必要はないかもしれない。なぜならこれらの問題は、見えにくい暗部にもきちんと目を向けているという、本書の「一部分」にすぎないからだ。

 つまり、これはネガティブな作品ではない。それどころか、ここに描かれているのは、そろりそろりと距離を縮めていって「交流」をはじめ、その延長線上で「共生」を目指す大泉町民と日系ブラジル人との、ちょっと不器用で、ちょっと愛しい関係性である。


 ブラジルという、日本から最も遠い国の一つにかつて渡った私たちの勇壮な同胞たちは、かの地で日本文化を「冷凍保存」し、そこから抽出した強靭な精神力で多くの苦難を乗り越えてきた。その結果、ブラジル国民から信望と敬意を勝ち得、同時に民族性を維持しつつも滑らかに社会の中に融和した。(214ページより)

 そうした事実を鑑みると、日系一世や二世の人々は日本人にとって大きな誇りであると著者はいう。彼らの存在そのものがほとんど「奇跡」ではないか、とも。

 人口減少や少子高齢化に対応すべく、外国人の受け入れが避けられないとされている日本では今後、大泉町のようなケースが増えていくだろう。外国人受け入れについての是非はともかく、必要なのは私たちひとりひとりが、そのときなにを考え、どう行動するかということだ。そのヒントを見出すためにも、ぜひ読んでおきたい一冊である。


『移民の詩――大泉ブラジルタウン物語』
 水野龍哉 著
 CCCメディアハウス



[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。書評家、ライター。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に、「ライフハッカー[日本版]」「Suzie」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、多方面で活躍中。2月26日に新刊『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)を上梓。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

仏独英、中国の台湾周辺軍事演習に懸念表明 一方的な

ワールド

サウジ、イエメン南部の港を空爆 UAE部隊撤収を表

ワールド

ロ、ベラルーシに核搭載可能ミサイル配備 欧州全域へ

ワールド

ウクライナ、米軍駐留の可能性協議 ゼレンスキー氏「
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめる「腸を守る」3つの習慣とは?
  • 2
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 3
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 4
    「すでに気に入っている」...ジョージアの大臣が来日…
  • 5
    「サイエンス少年ではなかった」 テニス漬けの学生…
  • 6
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と…
  • 7
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」と…
  • 8
    世界最大の都市ランキング...1位だった「東京」が3位…
  • 9
    なぜ筋肉を鍛えても速くならないのか?...スピードの…
  • 10
    頭部から「黒い触手のような角」が生えたウサギ、コ…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 3
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
  • 6
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 7
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 8
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と…
  • 9
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 10
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切…
  • 6
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 10
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中