ブラジル人であれば誰もが楽しくサンバを踊るだろう。日本人は皆、自然にそう考える。ところが彼女は、それまでサンバを一度も踊ったことがなかった。
「ブラジルでは日系人、カーニバルにはほとんど参加しないですね。(中略)サンバ踊れない、だけど皆の楽しみのため、ストレスなくすためならお祭り出るのはとてもいいこと。うまくなくていい、そういう気持ちで、友だちと話してすぐやることにしました。
だから私たち、パレードの時はサンバの振りしただけ(笑)。ああいう腰して踊る、できない。格好も、肌があまりでない服、私着ました。でないと、母は私と縁切ったかもしれない(笑)」(39ページより)
大泉町へ行けば本場のサンバを体験できるというのは、おそらく多くの人にとっての共通認識だ。だから、この話には非常に驚かされるのだが、日系ブラジル人として生まれ育ち、ほどなく日本で暮らすようになった彼らがサンバを知らなかったとしても、たしかにそれは不思議なことではない。
そして、もしかしたら同じことは彼らのキャラクターについてもいえるかもしれない。ブラジル人には「明るく陽気」という、まるで常に笑い続けているようなイメージがある。事実、本書を読んでいても、そのあっけらかんとした考え方には痛快さをおぼえることがある。
しかし、見誤るべきでないのは、「それが彼らのすべてではない」という当たり前のことである。たとえば十歳で大泉町の小学校に編入したパウロさんの体験には、それがはっきりと現れている。女の子から人気が高かった彼は男の子たちの嫉妬をかい、陰湿ないじめを受けたのだという。こういうことは対象が日本人であったとしても起こりうることだが、一度いじめが激化すると、女の子たちも含め周囲は巻き込まれるのを恐れて距離を置くようになっていくものだ。