記事を3本書くだけで年俸は50万ドル...元「花形編集長」の過去語りが「ウザすぎる」
The Stars They Were
インターネットの衝撃
興味深いことに、カーターはこうしたネガティブな出来事にはほとんど触れない。バニティ・フェアでのキャリア終盤になって、ようやく遠回しに触れる程度だ。
それによると2016年、やはりコンデ・ナストが出版している米ヴォーグ誌のアナ・ウィンター(Anna Wintour)編集長が突然、「シリコンバレーの人たち」と話し合った結果、バニティ・フェアのアート部門と写真部門、そしてコピーライティング&リサーチ部門を彼女の直属にすると言ってきた。
「そこから、ゆっくりと衰退が始まった」とカーターは書いている。「黄金時代の間は分からないが、それが終わったときは分かる。雑誌ビジネスは08年の大不況だけでなく、インターネットの普及でも大打撃を被り、急速な衰退の時期に入ろうとしていた」
偶然にも、カーターがバニティ・フェアのトップに25年間君臨した時代と、雑誌の黄金時代は、同時に終焉を迎えようとしていたわけだ。
安っぽいノスタルジー
ただし、カーターの回顧録はまだ終わらない。レストラン事業やドキュメンタリー制作で小遣いを稼ぎ、さらにバニティ・フェア時代末期の200万〜300万ドルという年俸があれば、南仏辺りに引っ込んで悠々自適な引退生活を送っていてもおかしくない。
だが、カーターはじっとしていられないタイプだ。19年には、世界市民のための週刊ニュースレター「エアメール(Air Mail)」を立ち上げた。ただ、ニューヨーク・タイムズ紙によると、エアメールは今、身売り先を探しているようだ。