コラム

被害者の実名はどうして報道されなくなったのか?

2013年01月25日(金)11時10分

 今回のアルジェリアでの人質事件で犠牲になった日本人被害者の方々の実名を報道するかどうかという問題が議論になっています。

 政府としては、今後の危機管理への取り組みにリアリティーを出すためには、改めて多くの犠牲という事実に対して、社会が向き合ってゆくべきであり、そのためには、犠牲者の「死」という事実には社会性があるという立場なのだと思います。実名の公表の背景にあるのは、そのような考え方であると思われます。

 一方で、遺族の方々の中には「静かにしておいて欲しい」という率直な声があり、政府や日揮としては、その間で様々な苦慮があったのであると拝察されます。

 この問題に関しては、現在の日本の世論としては、無名の個人にもようやく自己決定権やプライバシー保護という権利が認められたのであって、その「人権」を守るためには、いわゆる個人情報は保護されるべきという意見が大勢であるようです。

 この点に関して今回の事件というのは、その深刻さや今後への影響を考えて「例外」としていいのかどうかというのが、現時点での論点になっていると考えられます。

 その一方で、今回の事件を契機に、それでは昔の日本、あるいはアメリカでは現在も被害者の実名報道が一般的であるということとの対比を考えてみることも必要のように思うのです。

 1つ私が強く感じるのは、これは昔の日本と現在のアメリカに共通して言えることですが、社会の中に「大変な事件で亡くなった被害者の遺族には、社会が一体となって礼節を示す」という「共通認識」がある程度確保されている(いた)ということです。

 例えば、9・11の同時多発テロという事件の評価について、事後対応に関してはアメリカの中にも多様な意見があります。報復的なニュアンスの濃い戦争への賛否も分かれていましたし、事件の遠因には国際的な格差の問題があるという声も絶無ではありませんでした。

 そうであっても、テロ被害者の遺族に対しては「故人は金融のエリートだったから遺族はカネには困らないだろう」などということを言う人はいなかったわけです。遺族に対する義捐金も、社会の広範な層から集まりました。

 これに対して、ここ10数年の日本では、事件被害者の遺族に対する嫌がらせや無言電話などの行為が絶えないわけです。この問題が、こうした事件における実名報道を困難にしているのだと思います。

 では、仮にそうした匿名の嫌がらせなどは、日本社会のモラルが崩れたからだという言い方で、例えば批判したり摘発すれば良いのでしょうか? そう単純な問題ではないと思われます。

 事件被害者の遺族が、嫌がらせ行為などのターゲットになる本当の原因はもっと深いところにあるように思います。それは「社会の広範な同情を集めている」ような「有名な事件の遺族」と比較して、「無名」の自分はもっと不幸であり、もっと強い被害感を持っているという感覚です。

 匿名の悪意や、一見すると「もっともらしい」イデオロギーに名を借りた「第3世界で搾取をしていた企業は政官と癒着」などという遺族には身を切られるような中傷が横行する背景には、こうした強い被害感というものがあるように思います。

 確かに日本社会というのは、一見すると等質なように見えますが、価値観という点では、実に多様であり、今回のアルジェリアでの事件のような政治的な理解を要求する問題では、それこそ思い切り右から左まで様々な意見がもう少しすると出てくるでしょう。

 ですが、時としてそうしたコメントが遺族の感情を傷つけるような暴走をすることもあるのは、やはり自分の中にある被害感情に翻弄されるという現象があるように思います。

 この問題を意識しつつ、現象として出てくる具体的な嫌がらせ行為などについては、徹底的に抑え込んで遺族を守ることが必要と思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)、『アメリカモデルの終焉』(東洋経済新報社)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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