コラム

日立と三菱重工「幻の合併騒動」でわかった経営者とメディアの劣化

2011年08月04日(木)20時53分

 けさの日本経済新聞を読んだ読者は、驚いたことだろう。1面トップの大見出しで「日立・三菱重工 統合へ」と題した記事は、こう報じている。



日立製作所と三菱重工業は経営統合へ向け協議を始めることで基本合意した。2013年春に新会社を設立、両社の主力である社会インフラ事業などを統合する。原子力などの発電プラントから鉄道システム、産業機械、IT(情報技術)までを網羅する世界最大規模の総合インフラ企業が誕生する。両社の売上高は単純合計で12兆円を上回る。

 記事は「4日午後に発表する」と書いており、これが事実とすれば大スクープである。日立の中西宏明社長は、早朝に自宅でのぶら下がり取材に「きょう夕方発表します」とコメントした。東京証券取引所はこれを受けて両社の取引を一時停止し、事実関係を広報に確認した。

 ところが日立の広報は「そのような事実はありません」とコメントし、三菱の広報は「当社が決定した事実もありませんし、合意する予定もありません」とコメントしたため、東証は通常どおり取引を再開した。記者発表が事前に報道されることはよくあるが、こういうとき広報は「コメントできない」というのが普通である。広報が社長の話を否定することは、常識では考えられない。

 案の定、午前10時ごろになって「記者会見は延期」という報道が出て、そのうち「発表の予定はない」ということになった。その後も両社の広報は一貫して否定しており、今のところ肯定している当事者は日立の中西社長だけだ。どうやら両社の合意していない話を彼が日経にリークし、それを日経が(統合に消極的な)三菱から裏を取らないで書いたらしい。

 これは証券取引法の情報開示ルールに反する疑いがある。こういう「重要事実」については、インサイダー取引を防ぐために情報が厳重に管理され、「風説の流布」は証券取引法で禁じられている。中西社長のコメントは、結果的には虚偽だったわけで、巨大企業の社長としては問題だ。「日経に出して既成事実にすれば向こうも否定できなくなる」と思ったとすれば逆で、こういうフライングがあると、たいていの話は壊れる。両社の経営陣に信頼関係がなくなるからだ。

 彼の話を三菱に確認しないで報道した日経も軽率だ。「日立の社長がいうんだから大丈夫だろう」とでも思ったのだろうか。それ以上に気になるのは「経営統合が実現すると、国内の製造業では売上高でトヨタ自動車に次ぐ規模になる」とか「統合新会社は(新興国の)巨大市場に攻勢をかける」などと巨大統合を無条件に賞賛するトーンだ。

 よく日本の企業は過小規模でグローバル競争に対応できないといわれるが、それは鉄鋼とか石油化学とか通信など特定の分野での話である。こうした分野では、市場がグローバル化して固定費が大きくなったため、国内市場を多くの会社で分割するのではなく、世界で数社のグローバル企業に統合する規模の経済が必要だ。先日、東芝が携帯電話から撤退して子会社を富士通に売却すると発表したが、富士通も世界市場で生き残れるかどうかは微妙である。

 日立のように発電所から洗濯機までつくる「総合電機メーカー」は、企業の規模は大きいが、製品ごとにみると過小規模だ。たとえば日立のパソコンや携帯電話は世界市場の1%にも満たず、撤退せざるをえなかった。専門化が進んだエレクトロニクスでは、いろいろな部門に多角化する範囲の経済はないのだ。

 900社以上の連結子会社と膨大な余剰人員を抱えた日立が、三菱重工のような「総合重機メーカー」と丸ごと合併しても、何のメリットもない。原発関連の事業再構築が協議されているようだが、それなら一方が他方に原子力部門を売却すればよい。対等出資の合弁会社では何も決まらない。むしろいま必要なのは、日立が先日も発表したように、テレビなどの不採算事業から撤退する勇気だ。

 今回の幻のスクープでわかったのは、いまだに資本の論理に徹することができず、20世紀的なコングロマリット(多角化企業)にこだわる経営者と、そのいい加減な情報を受け売りするメディアのお粗末な実態である。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

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