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南米街角クラブ

島田愛加|ブラジル/ペルー

80歳の国民的アーティストからバトンを受け継ぐ新世代のアーティストたち

ミルトン・ナシメント、ステージ引退コンサートのラストシーン(photo by Aika Shimada)

今年、ブラジル音楽界を代表する4人のアーティストが80歳を迎えた。
世界的に活躍した「ブラジルの声」の持ち主ミルトン・ナシメント、時代と共に作風を変え今でも現役バリバリのカエターノ・ヴェローゾ、ルーラ政権で文部大臣を務めた経験もあるジルベルト・ジル、正統派サンバを守り続けたパウリーニョ・ダ・ヴィオラ。 この4人の代表作なら若い世代も口ずさんで歌えるほど有名なアーティストである。

彼らは主に60年代から活躍し始め、1964年から1985年まで続いた軍事政権下ではプロテストソングを歌い大衆から人気を得た。
もちろん、人気がある理由はそれだけではない。
それまでブラジルでは作詞家、作曲家、歌手、演奏家の役割は別々であったが、4人とも歌手として活動しながら素晴らしい作品を作り上げた。つまり彼らはブラジルにおけるシンガーソングライターの先駆者というわけだ。

そんな彼らは今年で80歳と言う節目にブラジル国内外でそれぞれ積極的にコンサートを開催している。
中でもミルトン・ナシメントはステージ引退ツアーとして、ブラジルのサンパウロとリオデジャネイロの他、ヨーロッパやアメリカ合衆国を回った。 そして最後のコンサートは自身が育ったミナスジェライス州で行われた。州都ベロオリゾンチはミルトンが本格的な音楽活動を始めた場所であり、生涯の友達であるクルビ・ダ・エスキーナのメンバーと出会った場所でもある。

|ミルトンのステージ引退コンサート当日

会場となったのはミネイラォン(ミネイロン)と呼ばれるサッカースタジアム。
2014年のワールドカップでブラジル代表が対ドイツに7−1で敗れたというブラジル人にとっては悲劇の場所だが、その悲しみを塗り替えるように、ミルトンは6万人の観客に囲まれ、2時間半にも及ぶ最後のコンサートを行った。

私もこの歴史的コンサートを見逃すわけにはいかないとベロオリゾンチまで駆けつけた。
当日は雨の予報も嘘のように、良い天気に恵まれた。 開演前、ステージの両端に備え付けられたモニターには、今月9日に急逝したガル・コスタとミルトンが肩を寄せ合う写真が映し出されていた。
ガル・コスタはミルトンより3歳年下だが、前述した4人と同じ世代に大活躍した歌手である。ステージの幕があがる前には、ミルトンとガルが今年一緒に録音したビデオクリップがオマージュとして放送され、大きな拍手に包まれた。

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モニターに映されたガル・コスタへのオマージュ(photo by Aika Shimada)

そしていよいよミルトン・ナシメントの登場である。
ベロオリゾンチ出身のホナウド・フラーガがデザインした衣装は、スクラップを利用してマントを作ったアルトゥール・ビスポ・ド・ボザーリオの作品からインスピレーションを受けているそうだ。マントを背負い、椅子に座ったミルトンの手には小さなボタン式のアコーディオンがあった。

コンサートの幕開けは、ミルトンが世界中で活躍していた際に原点回帰として作ったミナスジェライスの太鼓をテーマにした楽曲から始まり、同州の農村文化について描かれた「モーホ・ベーリョ」を歌った。広大な地の素晴らしさが想像できるようなメロディと歌詞は、海岸沿いで生まれた音楽であるサンバやボサノヴァとは全く異なるブラジルの魅力を語っている。
ミルトンの作品の多くは、ミナスジェライスの田舎音楽や風景が軸となっている。
ステージの最後の地をベロオリゾンチに選んだように、彼の歌には故郷への感謝の気持ちがあふれていた。

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「ありがとう、ビトゥーカ」ビトゥーカはミルトンの愛称(photo by Aika Shimada)

コンサートの中盤にはクルビ・ダ・エスキーナのメンバーがゲスト出演を果たすと会場は更に盛り上がり、あらためて彼らの人気を実感した。 1972年に彼らがリリースしたアルバム『Clube da Esquina』は、今年「歴代のブラジルポピュラー音楽アルバム最優秀作品」に輝いており、50年経った今でも、色褪せることはない。このアルバムは彼らの友情を描いた甘酸っぱい青春だけでなく、軍事政権であった当時の状況なども関係しており、ブラジルの歴史において重要な役割も果たしている。

ミルトンは最後に「Encontros e despedidas」(出会いと別れ)を歌い、歌手としての人生に幕を閉じた。
まるでベロオリゾンチ(美しい水平線)のような伸びやかな声はもう出なかったが、全身から振り絞るような声に"生"を感じた。
モニターに映るミルトンの泣き顔を見て、私も涙を抑えられなかった。会場はミルトンの愛称である「ビトゥーカ」コールで揺れていた。この様子はのちにドキュメンタリー映画となるそうだ。

|MPB(ブラジルポピュラー音楽)の黄金期が幕を閉じる

こうして、ミルトン・ナシメントはステージ引退をしたが、音楽制作は続けていくそうだ。
パウリーニョはツアーを始めたばかりで、カエターノに至っては新しいアルバムを引っ提げてブラジル中を回っている。先日、私もカエターノのコンサートを観に行ったが、伸びのある声と踊りを披露し元気な姿を見せてくれて嬉しかった。

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歳を重ねても色気たっぷりのカエターノ・ヴェローゾ(photo by Aika Shimada)

それでも前述したガル・コスタが亡くなり、「音楽家の日」である11月22日には60年代からブラジル製ロックとして大人気となったジョーベン・グアルダの中心人物エラズモ・カルロスも亡くなった。エラズモはミルトンやカエターノとは別のフィールドで活躍するシンガーソングライターだったが、彼も皆から愛される重要人物であった。
ガルもエラズモも、ファンやアーティスト仲間、ルーラ新大統領など多くの人々から追悼され、翌日には新聞の一面に取り上げられた。

60年から70年代に誕生した国民的アーティストの天国への旅立ちやミルトンのステージ引退は、MPB(ブラジルポピュラー音楽)の黄金期が幕を閉じる日が近づいていると感じさせる。
そもそも、MPBは音楽の多様化により後継者が現れず、アーティストは高齢化していく一方だ。 新しいもの好きのブラジル人は、欧米の音楽を吸収しながらブラジル流に音楽を作り上げ、インターネットで音楽が聴けるようになってからは地方独自の音楽も全国的に聴かれるようになっていった。また、MPBの次世代としてNova MPB(新しいMPB)と呼ばれるアーティストも登場したが、時代の流れと共に従来のMPBよりかなりモダン化している。

それではMPBはこのまま終わってしまうのだろうか。

Profile

著者プロフィール
島田愛加

音楽家。ボサノヴァに心奪われ2014年よりサンパウロ州在住。同州立タトゥイ音楽院ブラジル音楽/Jazz科卒業。在学中に出会った南米各国からの留学生の影響で、今ではすっかり南米の虜に。ブラジルを中心に街角で起こっている出来事をありのままにお伝えします。2020年1月から11月までプロジェクトのためペルー共和国の首都リマに滞在。

Webサイト:https://lit.link/aikashimada

Twitter: @aika_shimada

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