World Voice

アルゼンチンと、タンゴな人々

西原なつき|アルゼンチン

メッシ最後のW杯となるカタール大会目前、盛り上がるアルゼンチンと国内の変化


唯一無二のサッカー選手、リオネル・メッシ

数々の記録を破り続け、歴代最多7度のバロンドール(世界最優秀選手賞)を受賞し、6度のチャンピオンズリーグ得点王と歴代最多6度のゴールデンシューを獲得。多くのサッカー関係者や選手から世界最高峰の選手と称されるメッシ。

しかしその道のりには困難がありました。幼少時から類まれなるサッカーの才能を発揮していましたが、10歳の頃成長ホルモンの分泌異常の症状が発覚、継続した治療なしでは身体が発達しないと診断が下りたのです。アルゼンチン経済の逼迫により自国での治療は困難・・・という状況を救ったのが、スペインのFCバルセロナでした。

アルゼンチンの天才少年のビデオを目にし、加入テストを受けさせたFCバルセロナは、家族揃ってのバルセロナへの移住を条件に治療費を全額負担することを約束。メッシは家族と共にバルセロナへ渡り、チームの本拠地近くのアパートで暮らし始めました。

(メッシ7歳。アルゼンチン・地元ロサリオのジュニアチームでの試合の様子)

そして2001年、異例の13歳という年齢で正式契約が結ばれ、スペインでの生活を本格的に始めることとなったのです。

(試合中に良く聞こえてくる、彼のもうひとつの愛称である「プルガ」は、「ノミ」という意味ですが、その生い立ちからきたニックネームです。)



治療の甲斐あって順調に成長したメッシは17歳でデビューして以来、20年もの間トップ選手として2021年までバルセロナでプレイし続けました。

その為、プロとしてアルゼンチンのチームには一度も所属したことはありません。そして、バルセロナ在籍中数々のタイトルを獲得するも、2006年~2019年までのアルゼンチン代表としての試合では一度も優勝を手にすることはありませんでした。



アルゼンチンサッカーは、試合中熱くなって喧嘩になったり、審判に暴言を吐いたりすることが普通です。しかしメッシは冷静沈着、謙虚な人柄を持つ選手です。

アルゼンチン国歌演奏時も、彼のやり方としてあえて歌わず黙って聞いていたことで有名で、それは批判の目で見られることもしばしばでした。

世界的なスーパースター選手であることには変わりないので、メッシのことを誇りに思う人もいましたが、下町出身でザ・アルゼンチン人であったマラドーナといつも比較され、「ヨーロッパ育ちの冷たい奴」というイメージで見る人もまた多くいました。



その空気が変わったのが2021年、コパアメリカ。

メッシは長年期待されながらも実現できなかった「アルゼンチン優勝」へと導きました。得点王、アシスト王、MVPの"個人賞3冠"を達成し、28年ぶりのコパアメリカ優勝。私もその時に感動した記憶は未だに鮮明で、翌日のニュースでは、どのメディアも「悲願の優勝、おめでとうレオ!!」だったことを覚えています。


その後のインタビューなどでも、優勝後の経験は信じられないような日々だった、母国への愛はより増したと話しています。

W杯観戦チケットの申し込み数ランキング上位5試合に、アルゼンチンが出場する全試合が入っており、どれだけ人々が注目しているかもうかがえます。

以前の記事にも詳しく書いていますが、アルゼンチン国内のインフレの年率は年内に100%まで到達することが予想されており、生活は日に日に圧迫されている・・・、などと言いながらも、カタールまでサッカーを観戦しに行く意気込みだけは他の国の人々よりも大きいようです。

低所得層の、国から補助金が出るカテゴリーの人たちも多く試合観戦の抽選に応募し、そのうち150人が当選していた、ということで税務署が調査に入っているとニュースにもなっていました。



Profile

著者プロフィール
西原なつき

バンドネオン奏者。"悪魔の楽器"と呼ばれるその独特の音色に、雷に打たれたような衝撃を受け22歳で楽器を始める。2年後の2014年よりブエノスアイレス在住。同市立タンゴ学校オーケストラを卒業後、タンゴショーや様々なプロジェクトでの演奏、また作編曲家としても活動する。現地でも珍しいバンドネオン弾き語りにも挑戦するなど、アルゼンチンタンゴの真髄に近づくべく、修行中。

Webサイト:Mi bandoneon y yo

Instagram :@natsuki_nishihara

Twitter:@bandoneona

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