コラム

ナイキCMがマーケティング戦略的に正しい理由

2020年12月08日(火)18時20分

ナイキジャパンのCMでは「他人とは異なる自分」に苦しむ3人の少女が自ら世界を変える一歩を踏み出す NIKE JAPAN-YOUTUBE

<CMを作るには、確固としたマーケティング戦略が不可欠。ナイキジャパンのメッセージはブランドの価値観に共感する購買層には届いている>

ナイキジャパンが11月28日に公開したCM「動かしつづける。自分を。未来を。」がネット上で議論になっている。在日コリアン、黒人とのミックス、学校でいじめの対象になっている3人の少女がそれぞれに「他人と異なる自分」の苦しさや悩みをつぶやく。

「我慢しなきゃ」「気にしないふりしなきゃ」と自分に言い聞かせる3人に共通しているのは、サッカーへの情熱だ。「いつか誰もがありのままに生きられる世界になればいいのに」と思うが、最後に「でも、そんなの待っていられない」と自ら世界を変えていくことを決意する。

社会から浮いたり、仲間外れになっている人たちを応援する趣旨だが、「日本人の多数が差別をしているような内容で不快」とか「日本をおとしめる内容だ」といった批判的なコメントが殺到した。

その分析記事は多くあるが、欠けているのは「バイヤーペルソナ」の視点だ。バイヤーペルソナとは、米マーケティングソフト企業ハブスポットが作った用語で、「人口統計学の属性情報に加えて個人的な背景などの要素を全て含めてターゲットの人物像を想定し、作成された半架空のターゲットとなる理想顧客像」を意味する。

漠然とした顧客像ではない。実際のデータを基に、名前、年齢、性別、学歴、職業、年収、住んでいる場所(都市部か地方か)、趣味、性格、オンライン行動、購買行動などを含めた架空の人物を作り上げるところまで徹底する。

企業がCMを作るときには、確固としたマーケティング戦略がなければならない。その戦略を練る上で、バイヤーペルソナを見極めることは不可欠だ。

2017年に公開された牛乳石鹸のCM「与えるもの」編はその見極めに失敗した例だ。一家の父親が、自分が子供だった頃の父親像と比べて「時代なのかもしれない。でも、それって正しいのか」とモヤモヤし、上司に叱られた部下と酒を飲み励まして帰宅すると妻から嫌みを言われる。でも、風呂に入って牛乳石鹸で洗い流した後で妻と仲直りするという内容だ。

主要購買層は誰なのか?

「このお父さんの気持ちも分かる」「よくできた映像じゃないか」という好意的な意見があったが、問題の本質を見落としている。牛乳石鹸のバイヤーペルソナは、息子の誕生日の朝、夫に「ケーキを買ってきて」と頼んだ妻なのだ。

妻は仕事をこなした後で、同僚の冷ややかな視線を我慢して息子の幼稚園のお迎えのために早退。慌ただしく買い物を済ませて誕生日のデコレーションをし、夕食を作り、夫を待っていた。

しかし夫はケーキとプレゼントを買ってくるだけの簡単な役割で自己憐憫(れんびん)に陥り、不機嫌を家に持ち帰ってきた。この映像はそんな夫の気持ちに寄り添ってしまったから、バイヤーペルソナである女性たちから手厳しく批判されたのだ。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

ヘッジファンド、銀行株売り 消費財に買い集まる=ゴ

ワールド

訂正-スペインで猛暑による死者1180人、昨年の1

ワールド

米金利1%以下に引き下げるべき、トランプ氏 ほぼ連

ワールド

トランプ氏、通商交渉に前向き姿勢 「 EU当局者が
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:AIの6原則
特集:AIの6原則
2025年7月22日号(7/15発売)

加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」。仕事・学習で最適化する6つのルールとは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「史上最も高価な昼寝」ウィンブルドン屈指の熱戦中にまさかの居眠り...その姿がばっちり撮られた大物セレブとは?
  • 2
    真っ赤に染まった夜空...ロシア軍の「ドローン700機」に襲撃されたキーウ、大爆発の瞬間を捉えた「衝撃映像」
  • 3
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別「年収ランキング」を発表
  • 4
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 5
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首…
  • 6
    【クイズ】次のうち、生物学的に「本当に存在する」…
  • 7
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 8
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップ…
  • 9
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 10
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長…
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首」に予想外のものが...救出劇が話題
  • 4
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 5
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 8
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 9
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 10
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story