コラム

ベトナム戦争の「不都合な歴史」を若者に伝える傑作ノンフィクション

2015年12月16日(水)16時15分

ベトナム戦争はアメリカ社会にもまた深い傷跡を残した Courtesy U.S. Army-REUTERS

 筆者より10歳以上年上のアメリカ人なら、ダニエル・エルスバーグ(Daniel Ellsberg)という人物に対してはっきりとした意見を持っている。「政府の嘘を暴露してベトナム戦争を終わらせた英雄」か、あるいは「英雄ヅラして国家機密を漏らした裏切り者」である。

 しかしその世代が歳を取ったいま、アメリカではエルスバーグの名前どころか、ベトナム戦争そのものの記憶が薄れてきている。政府にとってはそのまま忘れ去ってもらったほうが都合がいいと思うのだが、国民が忘れそうになると、必ず新しい本が出版されるのもまたアメリカのいいところだ。

 Steve Sheinkinの『Most Dangerous: Daniel Ellsberg and the Secret History of the Vietnam War』もその1つ。1945~1968年にかけての「ベトナムにおける政策決定の歴史」、通称「ペンタゴン・ペーパーズ」という極秘報告書を報道機関に漏洩したダニエル・エルスバーグを中心にベトナム戦争の歴史を語るノンフィクションで、『Most Dangerous』というタイトルは、ニクソン政権で国家安全保障問題担当大統領補佐官だったキッシンジャーが、エルスバーグのことを"the most dangerous man in America"と呼んだところから来ている。

 この本がこれまでの関連本と異なるのは、まず読者ターゲットが中学生から高校生で、シンプルな語彙や文章にして読みやすくした「ヤングアダルト」のジャンルだということ。

 そして冒頭から、変装した元FBIエージェントのジョージ・ゴードン・リディと元CIAエージェントのエベレット・ハワード・ハントが、エルスバーグの精神科医の事務所に押し入るというスリリングなシーンで始まる。しかも、このとんでもない犯罪を彼らに命じたのは、アメリカ大統領なのだ。ノンフィクションが苦手で、飽きっぽい中高生の読者であっても、「なぜ大統領がそんなことをするの?」と好奇心を抱いて読み続けたくなる。

 ダニエル・エルスバーグは、非常に複雑な経歴を持つ人物だ。ハーバード大学を上位の成績で卒業したにもかかわらず、愛国精神から海兵隊に従軍し、戻ってからは有名シンクタンクのランド研究所で核兵器を専門とする戦略アナリストになった。その後ハーバード大学院で経済学の博士号を取得し、エルスバーグ・パラドックスという有名な論理を生み出した。1964年に国防長官ロバート・マクナマラのもとで勤務していたときには、共産党の侵略を防ぐためとしてベトナム戦争を擁護するタカ派だった。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

アングル:最高値のビットコイン、環境負荷論争も白熱

ビジネス

決算に厳しい目、FOMCは無風か=今週の米株式市場

ビジネス

中国工業部門企業利益、1─3月は4.3%増に鈍化 

ビジネス

米地銀リパブリック・ファーストが公的管理下に、同業
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ」「ゲーム」「へのへのもへじ」

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 5

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 6

    走行中なのに運転手を殴打、バスは建物に衝突...衝撃…

  • 7

    19世紀イタリア、全世界を巻き込んだ論争『エドガル…

  • 8

    ロシア黒海艦隊「最古の艦艇」がウクライナ軍による…

  • 9

    ロシア軍「Mi8ヘリコプター」にウクライナ軍HIMARSが…

  • 10

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 6

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 7

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 8

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 9

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 10

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 3

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈する動画...「吹き飛ばされた」と遺族(ロシア報道)

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 6

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 10

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story