コラム

ボブ・マーリー銃撃事件をベースに描く血みどろのジャマイカ現代史

2015年10月28日(水)15時30分

watanabe151028-02.jpg

今年のブッカー賞を受賞したジャマイカ人作家のマーロン・ジェイムズ Neil Hall-REUTERS

 ジェイムズの小説では、マーリーは「The Singer」と呼ばれ、キングストンのTivoli Gardensは「Copenhagen City」、アメリカの大都市に縄張りを広げた麻薬売買のギャング団Shower Posseは「Storm Posse」と呼び替えられている。

 ジェイムズが(すぐに想像できる)仮名を使ったのは、写実主義の歴史小説を離れて抽象画のように歴史を描く意図の表明だろう。

 そもそも、歴史は教科書でリニア(直線的)に描かれるほど単純ではない。多くの人々の無数の相互作用や連鎖反応で出来上がっているので、「原因と結果」、「真相」を 明確にするのは不可能だ。目撃者も、無意識に自分の視点で事実を歪める。歴史学者も個人的見解で「解釈」する。だから、ノンフィクションであっても、結局 はどこかフィクションなのだ。教科書とノンフィクションに描かれているのが「真実」だという思い込みはときに危険ですらある幻想だ。

 ジェイムズは、そういった「歴史」の捉えがたい特性をふまえたうえで、1970~90年代のジャマイカの姿をフィクションで描いている。ボブ・マーリー銃撃事件が中心になっているが、著者のテーマが史実でないことは明らかだ。事件は、ジャマイカとジャマイカ人を描くための材料でしかない。

 事件に直接的、間接的に関わったギャングのボス、若い下っ端のギャング、CIA工作員、「ローリング・ストーンズ」誌の記者、The Singerの愛人......などなど10人以上の視点がランダムな筆さばきで塗り重ねられていくうちに、フィクションでありながらも、私たちが知らなかったジャマイカの真の姿が浮かび上がってくるという野心的な手法だ。

 ブッカー賞受賞がうなずける素晴らしい作品だが、読むのは簡単ではない。

 まず、リストアップされた登場人物だけで70人以上だ。なかには元政治家の幽霊もコメンテーター的に現れるし、誰がどういう立場なのかを把握するまでに時間がかかる。そのうえ登場人物の多くが使うのはストリートギャングのジャマイカ英語なのですぐには意味がわからない。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

NY外為市場=ドル上昇、方向感欠く取引 来週の日銀

ビジネス

米国株式市場=3指数下落、AIバブル懸念でハイテク

ビジネス

FRB「雇用と物価の板挟み」、今週の利下げ支持=S

ワールド

EU、ロシア中銀資産の無期限凍結で合意 ウクライナ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
特集:ジョン・レノン暗殺の真実
2025年12月16日号(12/ 9発売)

45年前、「20世紀のアイコン」に銃弾を浴びせた男が日本人ジャーナリストに刑務所で語った動機とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の脅威」と明記
  • 2
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出を睨み建設急ピッチ
  • 3
    受け入れ難い和平案、迫られる軍備拡張──ウクライナの選択肢は「一つ」
  • 4
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれ…
  • 5
    【揺らぐ中国、攻めの高市】柯隆氏「台湾騒動は高市…
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    首や手足、胴を切断...ツタンカーメンのミイラ調査開…
  • 8
    「前を閉めてくれ...」F1観戦モデルの「超密着コーデ…
  • 9
    人手不足で広がり始めた、非正規から正規雇用へのキ…
  • 10
    世界最大の都市ランキング...1位だった「東京」が3位…
  • 1
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 2
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価に与える影響と、サンリオ自社株買いの狙い
  • 3
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だから日本では解決が遠い
  • 4
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺…
  • 5
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 6
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 7
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の…
  • 8
    キャサリン妃を睨む「嫉妬の目」の主はメーガン妃...…
  • 9
    ホテルの部屋に残っていた「嫌すぎる行為」の証拠...…
  • 10
    中国軍機の「レーダー照射」は敵対的と、元イタリア…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 3
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 4
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 5
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 6
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 7
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story