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多くの冒険家が「43歳」に命を落とすのはなぜ? 経験の豊かさと肉体の衰えが交差するとき

2022年4月24日(日)17時25分
角幡唯介(ノンフィクション作家 探検家) *PRESIDENT Onlineからの転載

登山のグレードが上がり、その時々の個人的な限界を超えると、それまでは限界線のちょっとうえにあった山が、急に経験の内側におさまって限界線のしたにくるようになる。そうなると、この前まで必死に登っていた山もさほど難しいものではなくなり、苦もなく登れたりする。

忘れもしない奥多摩海沢(うなざわ)でのはじめての沢登り。あのとき私は、最後のIII級の滝を登りながら踵かかとをふるわせ顎をがたがたならし、足下の滝壺に死がとぐろを巻いていることをひしひしと感じたものだ。ところが、つぎの登山で同じ等級の滝に登ってみると、わりと平気になっていて、そのうちIV級、V級とグレードを上げるにしたがい、この前まで死の隣にあったIII級の滝がロープなしでも登れるようになったりする。

経験と予測は相関する

同じ調子で探検や登山に慣れてくると、今度は海外に行き、よりスケールの大きな舞台をもとめるようになる。チベットの無人の大峡谷を単独で探検したり、さらに北極の氷原を二カ月かけて千キロ歩いたり、カヤックで氷海を航海して海象(せいうち)に襲われて逃げまどったり、太陽の昇らない闇の極夜をひとりで彷徨(ほうこう)したりするうち、世界はさらに大きくひろがっていく。

のように経験をつんでいくと、やったことのない行為や、足を踏みいれたことのない未知の現場でも、これまでの経験でいろいろ予測できるようになるため、未経験の分野に挑むことにさほどの抵抗感がなくなる。簡単にいえば、今までこんなことをやったんだから、あれもできるし、これもできるなぁという気がしてくる。

実際にできるかどうかより、たぶんできるはずだと思えるようになるところがポイントだ。

若くて経験値がひくく想像力が貧困であれば、実際の経験の外側にある未知の世界は、純粋に未知で、予測がつかないぶん恐ろしく、そこに手を出すことなど考えられない。あるのは体力だけ、だから思いつく計画のレベルもたかが知れている。

ところが経験値が増して世界が大きくなると、その外側にある未知の領域のこともなんとなく予測できるようになり、いわば疑似既知化できる。予測可能領域がひろがり、本当は未知なのに、なんだか既知の内側にとりこんでしまっているような感覚になり、それなら対応可能だろう、と思えてくるのだ。だからカヤックの経験が皆無でも、北極で長期の旅を何度もこなしていれば、つぎは北極をカヤックで旅するか、という発想がおのずとうまれる。経験と予測の相関関係はこのような仕組みになっている。

「なんだってできる」はずなのに

その結果、二十代や三十代のときには到底考えられなかったようなスケールの大きい、難度の高い行為も、十分に現実的な対象だととらえられるようになり、今の自分にはそれへの挑戦権があると思えるようになる。経験によってひろがる想像力が幾何級数的にふくらんで、なんとなくいろんなことが予測できるので、困ったことに四十頃になると、オレにはなんでもできる、あの状況になっても対応できるし、この状況になっても死にはしないだろう、という倒錯した万能感さえいだくようになってゆく。

ところがちょうど同じ頃、肉体には逆の現象がおとずれる。何かというと、言わずもがな、体力の衰えという厳しい生物学的現実との直面だ。無論、鍛錬をつづければ四十を越えても或る程度の現状維持は可能であろうが、常識的に考えて、二十代や三十代のときのように、やればやるほどぐんぐん強くなってゆく、ということはちょっと考えにくい。

それに問題はむしろ体力より気力の低下だろう。気力とは、すなわち生き物としての勢い、といいかえてもよい。

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