最新記事

シリア 

米国が、シリアでイスラーム国指導者を殺害 その意味とは

2022年2月7日(月)15時25分
青山弘之(東京外国語大学教授)

クラシーとは誰か?

暗殺されたクラシーも謎の多い人物だった。

aoyama0207image4.jpeg

出所:イナブ・バラディー、2022年2月3日

『ガーディアン』紙やBBCなどによると、クラシーの本名はアブドゥッラー・カルダーシュで、1976年にイラク北部のニナーワー県にあるトルコマン人の村、マフラビーヤ村に生まれたとされる。父親は地元のモスクのムアッズィン(礼拝を呼びかける人)で、2人の女性と結婚し、息子7人と娘7人がいたという。

2003年から2004年にかけて、イスラーム国(当時の名称はイラク・イスラーム国)の幹部として活動を始め、組織の構成を熟知し、その運営のほぼすべてにかかわっていたと考えられていた。イスラーム国の元メンバーによると、彼はイラクのモースルの治安機関を統轄していたほか、法務官(法務大臣に相当)、兵務局をはじめとする15を部局(ディーワーン)の監督にあたっていたという。

カリフを名乗っていた指導者のアブー・バクル・バグダーディーが2019年10月にイドリブ県バーリーシャー村の潜伏先で米軍によって暗殺されると、イスラーム国はアブー・イブラーヒーム・クラシーを後任のカリフに任命したと発表した。だが、クラシーなる人物は、当初は実在しない架空の人物だと考えられ、それがムーラー・サルビー、アミール・ムハンマド・サイード・アブドゥッラフマーン、ハッジー・アブドゥッラー、アブー・イブラーヒーム・ハーシミーなどの名で呼ばれていたカルダーシュと同一人物だと特定されるのには若干の時間を要した。

一方、『ワシントン・ポスト』は2021年4月8日付の記事で、クラシーが米当局への情報提供者・協力者だったことを暴露した。

それによると、クラシーには、2007年末から2008年初め頃にイラク国内で米軍によって捕えられ、拘留キャンプで数十回にわたって取り調べを受けた過去があった。取り調べの様子などを記録した極秘文書は、この時のクラシーが「米国人看守に協力的で、異常なほどおしゃべりな模範囚」で「組織内のライバルについての情報を提供するなどして、役に立とうとしているようだった」と記録していた。

既視感

クラシーの暗殺は、バグダーディーの暗殺を想起させた。二つの作戦には多くの共通点があったからだ。北・東シリア自治局の支配地にある基地がヘリコプター発着の拠点として使用されたこと、トルコの占領地上空を通過して作戦地点に移動したこと、シャーム解放機構を主体とする反体制派の支配下にあり、トルコの実質的な勢力圏でもある「解放区」で作戦が遂行されたことなどである(バグダーディー暗殺作戦の詳細については、拙稿『膠着するシリア:トランプ政権は何をもたらしたか』(東京外国語大学出版会、2021年)を参照されたい)。

そして、このことがバグダーディー暗殺時と同じ、既視感を帯びた三つの疑問を呼び起こした。

第1の疑問はトルコの役割だ。

トルコにとって、米国はNATO(北大西洋条約機構)における同盟国ではある。だが、シリアをめぐっては、シリア民主軍(ないしは北・東シリア自治局、PYD、YPG)の処遇をめぐって両国は対立関係にあり、トルコが米軍に無償の協力を行うとは考えにくい。

「解放区」にクラシーが潜伏していたとの情報は、トルコ、ないしはシャーム解放機構を含む反体制派から米国によって提供されたものだと考えられる。この情報提供、そして米国軍ヘリコプターのトルコ占領地の領空通過の代償として、トルコが米国に求めたと思われるのが、シリア民主軍に対する攻撃の黙認だったと考えると、実に辻褄が合う。

バイデン大統領は2月3日の発表で、シリア民主軍の協力に何度も謝意を示した。だが、その協力とは、ラファージュ・セメント工場やアイン・アラブ市の使用をシリア民主軍が認めたことではなく、トルコの攻撃の標的となってくれたことを意味しており、謝意はシリア民主軍がトルコの攻撃に対する有志連合の黙認を非難したことへの弁明だと読み取れた。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

EU、中国製ブリキ鋼板の反ダンピング調査開始

ワールド

イスラエルはガザ停戦努力を回避、軍事解決は幻想=エ

ワールド

「英国を再建」、野党・労働党が選挙公約 不法移民対

ワールド

マレーシアGDP、第1四半期は前年比4.2%増 輸
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 2

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた異常」...「極めて重要な発見」とは?

  • 3

    羽田空港衝突事故で「日航の奇跡」を可能にした、奇跡とは程遠い偉業

  • 4

    存在するはずのない系外惑星「ハルラ」をめぐる謎、…

  • 5

    老化した脳、わずか半年の有酸素運動で若返る=「脳…

  • 6

    アメリカはどうでもよい...弾薬の供与停止も「進撃の…

  • 7

    共同親権法制を実施するうえでの2つの留意点

  • 8

    半分しか当たらない北朝鮮ミサイル、ロシアに供与と…

  • 9

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 10

    総額100万円ほどの負担増...国民年金の納付「5年延長…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 7

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中