人種差別という「原罪」とバイデンが向き合わなければBLM運動は終わらない
BIDEN, BLM AND RACISM
こうした人種的不正義の過去を癒やすためには、「公民権侵害法廷」の設置が第一歩になるかもしれない。取り扱うのは、1900〜70年に起こった人種差別事件とする。この時代ならまだ、加害者や被害者、そして目撃者が見つかる可能性があるからだ。1970年までとしたのは、「現代の」司法システムに踏み込まないようにするためだ。
この時期の黒人に対する残虐行為は、KKK(クー・クラックス・クラン)などの白人至上主義団体が主な担い手だったが、政治家や警察、裁判所といった州の行政機関も加担した。アメリカ史上最年少の死刑囚の1人であるジョージ・スティニー(14)は、身長150センチほどで電気イスの電極に頭が届かなかったため、聖書の上に座らされて処刑された。
南ア式の真実究明がカギに
特別法廷なんて急進的な、と思うかもしれないが、そんなことはない。国連は同じような法廷を設置してきたし、カンボジアやドイツ、ルワンダ、旧ユーゴスラビアなど政府が残虐行為に加担した国では、こうした法廷の設置を国内和解の第一歩とすることが少なくない。
アメリカには、自らの歴史を集団として咀嚼し、説明する公的な手段がない。確かに連邦政府は「2008年エメット・ティル未解決公民権犯罪法」に基づき、公民権運動時代の未解決の殺人を裁く試みをしてきた。これは祝福すべきことだが、個別の殺人のみを対象とし、黒人に対する集団的な暴力を見落としている。
元ナチスの親衛隊員なら、アメリカの司法当局は、わずかな情報を頼りに複雑な捜査を展開して、粘り強く追及する。それなのに、国内で起こった大掛かりな人種犯罪に関する大量の証拠は、図書館の歴史の書棚でほこりをかぶっている。
連邦公民権委員会があるじゃないかと言う人もいるかもしれない。しかし、歴史的な人種的不正義を正すという意味では、この委員会の役割は、よく言っても象徴的なものにすぎない。しかも同委員会は公訴権を付与されていない。いわば牙を抜かれた状態で、大統領と議会に勧告を行う官僚組織の1つになってしまった。
真の説明責任を問うことは、公民権侵害法廷以外の方法でもできる。米議会が、民事的および刑事的な執行力を持つ法廷を設置するのもいいし、バイデンが大統領令によって、法的執行力のない法廷を設置してもいい。これは南アフリカの真実和解委員会をモデルとし、人種的不正義の被害者が、自らのトラウマや、不正義が自身の人生に与えた影響を語る場とする。加害者や共犯者も、自分の経験を語り、償う機会を得る。