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イスラム教で「不浄」の犬と土足でモスクへ インドネシア、統合失調症の女性を宗教冒涜罪で訴追

2019年7月10日(水)19時30分
大塚智彦(PanAsiaNews)

社会への影響拡大に副大統領も懸念

こうした事態にユスフ・カラ副大統領は「(今回のケースが)キリスト教徒の行為とはいえ、それがキリスト教を責めたり攻撃する理由にはならない。彼女が属する宗教の指導者だけが彼女を批評し、問いただすことができる」と述べて、今回の事案がイスラム教徒によるキリスト教徒への憎悪拡大やヘイトクライムにつながることへの懸念を表明した。

「インドネシア・ウラマー評議会(MUI)」も「ネット上での映像拡散で社会不安を煽ることは避けなければならない。今回の行為が健常者によるものであれば当然冒涜に当たるが、そうでない場合は必ずしも冒涜とは言えず、いろいろと考慮されることもある」との見解を示し、イスラム教徒側に対し自制を求めた。

その一方で「インドネシア・モスク協議会」では「こうしたモスクへの行為は社会不安を高めることになる。今後の捜査、裁判の過程では透明性を高め、隠蔽は許されない」との立場を強調、厳しい姿勢を崩していない。

宗教的寛容性が問われている現状

インドネシアでは車両が路上で野良犬を轢いた場合は「そのまま放置して野ざらし」だが、野良猫となると「停車して運転手が近所の人に金銭を渡して埋葬を依頼して去る」と言われる。これは多数派のイスラム教徒の犬と猫への対照的な立場を言い表している。

しかしその一方で富裕層のイスラム教徒にはペットとして犬を飼育する人がいることも事実で、モスク敷地内に野良犬が迷い込んだり昼寝していたりする姿もよくみられ、禁忌として厳格に守られている訳ではないという実態もある。

インドネシアではモスクのスピーカーからの礼拝を呼びかける声が「うるさい」と注文をつけた女性に対して禁固18カ月の判決が最高裁で確定する事案も今年4月に起きた。この仏教徒女性が問われたのも「宗教冒涜罪」だった。

独立の父スカルノ初代大統領は、イスラム教を国教とせず他宗教を認めることで、多民族、多言語、多文化、多宗教のインドネシアを「多様性の中の統一」国家としてまとめ挙げようとした。そのキーワードは「寛容性」だった。

ところが近年、圧倒的多数派のイスラム教徒による「暗黙のイスラム優先主義」が社会にじわじわと拡散し、宗教的少数派、民族的少数派、性的少数派に対して厳しい状況が生まれてきている。

4月17日に投票され、6月27日に最終確定した大統領選挙でも問われた「多様性」「寛容性」が再び焦点となって浮上したことを物語る今回の「モスクへの犬連れ込み」事件。イスラム教徒でもあるジョコ・ウィドド大統領にとっては国是の実現という難しい課題に早速直面する事態となっている。


otsuka-profile.jpg[執筆者]
大塚智彦(ジャーナリスト)
PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など



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