最新記事

いとうせいこう『国境なき医師団』を見に行く

子供、子供、子供――マニラのスラムにて

2017年4月20日(木)16時40分
いとうせいこう

ある路地を抜けて石造りの家の横を右に折れるとちょっとした広場があり、バスケットコートになっているのがわかった。そこに70人ほどの女性が集まり、プラスチック椅子に座って向こうのリナの話を熱心に聞いていた。どこかで鶏が鳴き、やっぱり子供が母親たちのまわりで走ったりコンクリの上で寝転がったりしていた。

俺たちが近づくと、女性たちは闖入者が珍しいのだろう、気にしないふりをしながらわかりやすく動揺してこちらをちらちら見た。リナは慣れたものでまったく調子を変えず、熱弁をふるった。女性たちはすぐにそのスピーチに注意を戻し、笑ったり質問をしたりした。

ロセルに聞けば、リナは1日に3セッションを担当するのだそうで、俺たちが見ているのはまさに朝一番のものらしかった。なにしろ巨大バランガイなので集合する者が幾つかに振り分けられているとのことだった。

itou0420c.jpg

リナの講義を女性たちは熱心に聞く

テーマはもちろん避妊と子宮頸癌。だからこそ女性たちは真剣に聞いた。彼女たちは避妊を切実に求めているそうだった。まわりを見ればよくわかる。子供は日々産まれて来る。夫は避妊に協力的ではない。ゆえに彼女たちが意識を高めなければ、貧困はより過酷になる。それは結局、産まれる子供に重圧をかけるのである。

女性たちの何人かが手に持つノートは古びていて、小さな文字がびっしり書き込まれたそれが時には透明なビニール袋にしまわれていたりした。いかに紙が大切か、また家に雨漏りがするかがわかって俺は切ない気持ちになった。

ひとつのセッションが終わると女性たちはがやがやとその場を去った。残るのは近所の子供たちのみになり、中でも小さな女の子たちがロセルと谷口さんを囲んで彼女らが話すのをじっと見ていた。ロセルたちがどんな服を着ているのか、どんなピアスをしているかを憧れるように確かめているのだった。

俺がその模様をメモっていると男の子も女の子も集まってきた。書いている日本語を穴があくほど見つめる女の子がいるので、俺が目をみるとにっこり笑った。そして彼女はまた読めないはずの文字に目を向ける。

その好奇心の強さが戦後の日本人のようだと俺は思った。考えれば子供の多さがそうだった。俺の子供時代、東京の下町にもびっしり子供がいた。子供が泣き、子供が叫び、子供がじっと何かを見ていた。だから大人も寛大だったし、彼らの手本であろうとした。子供は生まれついての興味のまま世界を知ろうとした。

「日本語(ジャパニーズ)だよ」

と言うと女の子が、

「日本語」

とすぐに返してきた。すると俺を囲んでいた子供たちが口々にジャパニーズ、ジャパニーズと言った。ひとつ何かを知って彼らはうれしいのだった。

俺はメモることもないのにメモ帳に文字を書いた。それを見ている子供たちのために。

itou0420d.jpg

子供たちは多い、そしてみんなで遊ぶ

.

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米肥満薬開発メッツェラ、ファイザーの100億ドル買

ワールド

米最高裁、「フードスタンプ」全額支給命令を一時差し

ワールド

アングル:国連気候会議30年、地球温暖化対策は道半

ワールド

ポートランド州兵派遣は違法、米連邦地裁が判断 政権
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:高市早苗研究
特集:高市早苗研究
2025年11月 4日/2025年11月11日号(10/28発売)

課題だらけの日本の政治・経済・外交を初の女性首相はこう変える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 2
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2人の若者...最悪の勘違いと、残酷すぎた結末
  • 3
    「路上でセクハラ」...メキシコ・シェインバウム大統領にキスを迫る男性を捉えた「衝撃映像」に広がる波紋
  • 4
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216c…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    クマと遭遇したら何をすべきか――北海道80年の記録が…
  • 7
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 8
    【銘柄】元・東芝のキオクシアHD...生成AIで急上昇し…
  • 9
    なぜユダヤ系住民の約半数まで、マムダニ氏を支持し…
  • 10
    長時間フライトでこれは地獄...前に座る女性の「あり…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎の存在」がSNSで話題に、その正体とは?
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    9歳女児が行方不明...失踪直前、防犯カメラに映った…
  • 5
    「日本のあの観光地」が世界2位...エクスペディア「…
  • 6
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 7
    だまされやすい詐欺メールTOP3を専門家が解説
  • 8
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」は…
  • 9
    虹に「極限まで近づく」とどう見える?...小型機パイ…
  • 10
    「遺体は原型をとどめていなかった」 韓国に憧れた2…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 5
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 6
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になり…
  • 7
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 10
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中