最新記事

人権問題

ようやく金正恩氏への「遠慮」をやめた韓国の政治家たち

2016年9月29日(木)16時03分
高英起(デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト) ※デイリーNKジャパンより転載

Edgard Garrido-REUTERS

<アメリカでは2004年、日本では2006年にできた北朝鮮人権法が、ようやく韓国でも成立・施行された。金正恩体制による人権侵害がこれだけ伝えられながら、韓国の対応が遅れたのはなぜだったのか> (写真:韓国の朴槿恵大統領)

 韓国統一省の傘下機関として新設される北朝鮮人権記録センターが28日、開所式を行い、北朝鮮の人権状況を調査・記録する業務を開始した。

虐殺事件も「素通り」

 同センターは4日に施行された「北朝鮮人権法」に基づき設置が決まったもので、主な業務は◇北朝鮮住民の人権実態の調査・研究◇韓国軍捕虜、北朝鮮による拉致被害者、南北離散家族の人権問題の取り扱い◇各種資料および情報の収集・研究・保存・刊行◇調査・記録した資料の北朝鮮人権記録保存所(法務部所管)への移管――などだ。

 北朝鮮の体制による人権侵害がいかに凄惨なものであるかは、「北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)」の最終報告書(以下、国連報告書)に収められた数々の証言からもうかがい知ることができる。

(参考記事:「まるで公開処刑が遠足のようだった」...北朝鮮「人権侵害」の実態

 それでも、この報告書が人権侵害のすべての側面を網羅しているわけではない。北朝鮮では、人権侵害を通り越した虐殺事件や、ムリな工期設定による大規模な労働事故なども起きている。

(参考記事:抗議する労働者を戦車で轢殺...北朝鮮「黄海製鉄所の虐殺」

 そうした出来事については、もちろん情報公開などされていないから、複数の脱北者の証言を総合しなければ全容を描くことができない。そのような証言の掘り起こしは、民間団体やメディアが担ってきた部分も大きい。

 それを韓国政府が、法と国家予算に基づいて行うようになれば、より体系的で厚みのある取り組みが期待できる。そして、北朝鮮の人権侵害には日本人拉致問題も含まれるから、日本にとっても関係のない話ではないのだ。

 それにしても、米国では2004年、日本でも2006年にできた北朝鮮人権法が、どうして韓国で今になって施行されるのか。

 それは2005年以来、国会で与野党の政争の具となり、法案上程と廃案が繰り返されてきたためだ。

 韓国政治の中に、同法を廃案に追い込む力が強かったのは、これが成立しては北朝鮮との対話の可能性が閉ざされる、との懸念があったためだ。人権問題は、恐怖政治で国民を支配する金王朝の根幹に触れるものであり、北朝鮮側としては交渉の題材になどできないのである。

 それがようやく成立・施行の運びとなったのは、言うまでもなく、金正恩党委員長の止まらぬ暴走の結果である。もはや正恩氏に遠慮をしても仕方がないと、韓国の政治家たちも認めざるを得なくなったわけだ。

 しかしそもそも、北朝鮮の人々の人権を置き去りにした南北対話に、朝鮮半島情勢の重要な何かを変える力を生めるとは思えない。急がば回れという言葉もある。韓国はこれでようやく、対北問題に本格的に取り組むスタートラインに立ったと言えるのかもしれない。

[筆者]
高英起(デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト)
北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ――中朝国境滞在記』(新潮社)、『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)、『北朝鮮ポップスの世界』(共著、花伝社)がある。

※当記事は「デイリーNKジャパン」からの転載記事です。
dailynklogo150.jpg

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

焦点:認知症薬レカネマブ、米で普及進まず 医師に「

ワールド

ナワリヌイ氏殺害、プーチン氏は命じず 米当局分析=

ビジネス

アングル:最高値のビットコイン、環境負荷論争も白熱

ビジネス

決算に厳しい目、FOMCは無風か=今週の米株式市場
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 3

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われた、史上初の「ドッグファイト」動画を米軍が公開

  • 4

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 5

    目の前の子の「お尻」に...! 真剣なバレエの練習中…

  • 6

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 7

    美女モデルの人魚姫風「貝殻ドレス」、お腹の部分に…

  • 8

    19世紀イタリア、全世界を巻き込んだ論争『エドガル…

  • 9

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 10

    ロシア軍「Mi8ヘリコプター」にウクライナ軍HIMARSが…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 4

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 5

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 6

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 9

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 10

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の瞬間映像をウクライナ軍が公開...ドネツク州で激戦続く

  • 3

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 4

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 5

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 6

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 10

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中