最新記事

ハイチ

いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く6 (パーティは史上最高)

2016年7月4日(月)16時50分
いとうせいこう


 グリルを支配しているのは、俺より年上の体の大きなオランダ人でフェルナンド・シッパーズと言い、みんなにフェリーと呼ばれていた。とても滑らかな英語を聞き取りやすく発音してくれる人で、銀髪のスティーブン・セガールみたいな男だった。ちょっと危険な冗談を言っては、フェリーは片目をつぶってみせた。彼はロジスティックのベテランっぽく、いかにも宿舎のリーダーという感じだった(実際の役職はプロジェクト・コーディネーターで、産科救急センターの責任者)。


 「頭の上に気をつけていた方がいいよ、セイコー。ハイチでは何かあると、それがいいことでも悪いことでも天に銃を向けてバーン!だ。で、その銃弾はどこに落ちると思う?」

 にやり。
 みたいな。

ito3.jpg

(フェリーたちが焼くおいしいやつ)

ダーン、インゴ、ウルリケ、ルカ

 ダーンももちろんそこにいた。
 コンテナ・ホスピタルやマルティッサンではよく質問していたダーンは、パーティーだとおとなしかった。けれど寡黙というのではない。誰かに常に話しかけられ、よく耳を傾け、何か的確な答えを言って食事に戻る。そういう人だ。

 他にものちに、「空飛ぶ」電気技師(Flying Electrician)と呼ばれる種類の人だとわかる(世界各地を常に飛行機で移動し続ける電気系統の技師)、ドイツ出身でほとんど何もしゃべらずにいつでもみんなをにこにこ見ているインゴ・クルツワイル

 アナと同じく初のミッションだという、少し神経質でみんなにたくさんの質問をしている女性、ウルリケ・バックホルツ

 ジャーナリストを思わせる風貌の、おしゃれな眼鏡をかけたイタリア人のルカ・ザリアーニ

 などなどがいて、それぞれに深く話を聞きたかったのだけれど、夜が来て暗くなっていく屋上で照明もない中(あるのはロウソクだけだが風が強く、何本かはすぐに消えてしまった)、結局俺は一人のドイツ人と暗がりの中でしゃべり続けることとなった。

そしてカール

 名前をカール・ブロイアーと言った。年齢は64だったと思う。
 痩せていて身軽で背が高く、控えめでにこやかな人だった。

 フェリーと共によくグリルの火の具合を見ていて、気づかぬうちに立って確認していつの間にか戻っているという感じで、自分を前に押し出すタイプではないようだった。

 ハイチの現状について、カールはゆっくりと英語で伝え間違いのないように気をつけている風に語った。足りないものは多かった。施設の不足による医療の届かなさ、政府のインフラ対策の少なさ、ハイチの人々の衛生への意識など。しかしカールはそれを責めるのではなかった。もしもっとあれば、その分だけ人の命が助かるのにと静かに悔しく思っているのだった。

 まるで若者が理想に燃えるかのように、還暦を過ぎたカールは希望を語り、しかし終始にこやかに遠くを見やっていた。その暗がりでの表情の柔らかさを、俺は今でも思い出すことが出来る。頬に刻まれたシワとよく光る細い目をゆらめくロウソクが照らしていたが、それが消えてもなお俺にはカールが見えた。どうしてかは今ではもうわからない。

 俺はカールがこれまでどんなミッションを経てきたのか聞きたかった。
 もしよければ教えていただけませんか?
 すると微笑と共に答えが来た。


 「初めてなんですよ」

 俺は驚いて黙った。

 「これが生まれて初めてなんです」

 カールはまるで自分に孫が出来たかのような初々しい喜びをあらわしてさらに言った。
 「私はエンジニアとして、ドイツの中でたくさんの仕事をして来ました。あっちの会社、こっちの会社とね」
 「あ、お医者さんでなく?」
 「そう。技術屋です。それで六十才を超える頃から、ずっとMSFに参加したかった。そろそろ誰かの役に立つ頃だと思ったんですよ。そして時が満ちた。私はここにいる

 たったそれだけのことを聞く間に、俺の心は震え出してしまっており、とどめようがなかった。暗がりなのをいいことに、俺はカールに顔を向けたまま涙を流してしまっているのだった。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

サウジ、JPモルガン債券指数に採用 50億ドル流入

ワールド

サウジとパキスタン、相互防衛協定を締結

ワールド

日経平均は反発、終値で初の4万5000円台 半導体

ビジネス

野村、年内あと2回の米利下げ予想 FOMC受け10
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「日本を見習え!」米セブンイレブンが刷新を発表、日本では定番商品「天国のようなアレ」を販売へ
  • 2
    燃え上がる「ロシア最大級の製油所」...ウクライナ軍、夜間に大規模ドローン攻撃 国境から約1300キロ
  • 3
    中国は「アメリカなしでも繁栄できる」と豪語するが...最新経済統計が示す、中国の「虚勢」の実態
  • 4
    1年で1000万人が死亡の可能性...迫る「スーパーバグ…
  • 5
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 6
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 7
    【クイズ】世界で最も「リラックスできる都市」が発…
  • 8
    中国山東省の住民が、「軍のミサイルが謎の物体を撃…
  • 9
    中国経済をむしばむ「内巻」現象とは?
  • 10
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 3
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサイルが命中、米政府「機密扱い」の衝撃映像が公開に
  • 4
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 5
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 6
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 7
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    「なんて無駄」「空飛ぶ宮殿...」パリス・ヒルトン、…
  • 10
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 9
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 10
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中