最新記事

ハイチ

いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く6 (パーティは史上最高)

2016年7月4日(月)16時50分
いとうせいこう

仮眠の中で考える

 車がチカイヌで紘子さんとダーンを降ろすと、そこで2台の四駆にそれぞれ乗り換えてリシャーはコーディネーション・オフィスへ、谷口さんと俺は山の宿舎(今さらだが、モン・ラカイという場所にあった。ラカイ山ということだろう)へ向かった。各々昼食をとるためだった。

 前日のポールの話からすると、俺たちが冷蔵庫から取り出した幾つかのグラタンや野菜の煮込みやサラダは、特別にまかないの女性たちが作ってくれたものかもしれなかった。自分の食べる分だけ取ってレンジで温め、コーヒーをエスプレッソマシンで作って飲んだ。

 招かれたパーティーまでには数時間あり、俺は部屋の四角いベッドで仮眠をとった。浅い夢のようなものの中で、俺は他人のためになろうとする人たちのことを考えていた。そういう人がなぜか"偽善者"などと呼ばれるのは、一体どういうことなのかと。

 自分もたまたま、解放される前のアウン・サン・スーチーさんを支援する運動に参加していたことがあった。その時、俺としては実につまらない中傷に出会った。

 例えば、「他にも問題を抱えた国があるのをどうするんだ?」と真面目に言ってくるのだった。俺は神様か何かと間違われていた。俺を万能の何かのように勘違いする人々は同時に、「ミャンマー軍事政権に抗議するなら、まず中国にするべきだ」とも言った。なぜ俺がやることの順番を他人に決められねばならないのかわからなかった。出来ることからしか俺は始められないのだ。

 そうした「善への反発」はなぜ、いかにして生まれて来るのか。
 と、勝手に紘子さんたちを自分の側に引き入れて、眠ってしまう直前の俺は考えた。

 少なくとも、こうして日本の外に一歩でも出れば、彼らの言うことにはなんのリアリティもない。
 困った人と助ける人が互い違いになって共に毎日生きているだけだ。

 いや、困った人を放っておけない紘子さんのような人がいるように、善を志向する人間を「放っておけずに」文句を言いたい人がいるだけかもしれない、とも俺ならぬ俺、色々人格の混じり出した夢うつつの俺は思った。

 もしも「放っておけなさ」において、両者が似ているとすれば、少なくとも俺はやっぱり人の役に......。

スタッフたちの休息

 ぐっすり寝て起きて、宿舎に四駆を呼んだのは夕方5時過ぎだった。
 ドライバーに「チカイヌ」と行き先を言おうとしたが、谷口さんも俺もど忘れをしていた。確か日本語に似ていたという記憶から、「コマルネ」とか「サワグネ」などと言ってみたが、ドライバーは不審そうな顔をした。要するに困った自分たちの状況、これからパーティーで騒がしいかもしれないという期待をそれぞれが日本語四文字にしているだけだった。

 キクチヒロコさんのいるところですと英語で頑張ると、ドライバーの方からようやくチカイヌという言葉が出た。俺たちはほっと胸をなでおろして、山を下り始めた。

 着いたのは街の中のでこぼこした狭い道沿いの鉄扉の前だった。入ると四駆が二台くらい止まる空間があって、そこにロジスティックの小屋があった。白板がかかっていて、訪問者として俺の名前が書かれていた。

 迎えに来てくれた紘子さんはシャンブレー的なワンピースをふんわりと着ていた。連れて行かれるままに階段を上がりながら、見せてくれた部屋はタイル敷きで、小さな四角いスペースになっており、アジアのリゾート地でバックパッカーが泊まる場所に似ていた。実に簡素なもので、中に置かれている荷物もそれぞれ少なかった。それが3階だったか4階だったか、階段に沿って幾つもあった。

 屋上に出ると、周囲が見渡せた。高い建物がひとつもないからだった。民家の屋根が続く先に低い山並みが見えた。

 その屋上の、一段高くなったスペースに長い木のテーブルが置かれていて、そのまわりに7、8人の外国人スタッフたちが立っていた。すでに皿などが配置され、専用のオーブングリルまであって、そこで串に刺した牛肉らしきものやホイルに包んだ何かが焼かれていた。彼らはその屋上でだけ安全を確保されていた。

 俺たちがそこへ近づいていくと、各自が実に自然に手を上げたり、にっこり微笑んだりした。すぐに話しかけてきてくれたのは、スウェーデンから来たというアナ・ブライドマンという小柄な女性で、確か30代前半だと言っていたように思う。金色の髪を風になびかせて、彼女は人懐っこく自分のブログの話をし、また俺の話を聞いた。彼女自身、それが初めてのMSFのミッションだと語ったはずだ。

 少しずつどこか曖昧なのは、俺が帰路に着くまで一切メモを取らなかったからだ。俺は取材者として彼らに接する気がなくなっていた。なぜなら彼らが俺を外部者でなく、あたかもMSFの新しいスタッフのように受け入れたから。そしてまた、俺としてもせっかくの彼らのパーティに水をさしたくなかったから。

 さらに言えば、俺は彼らのキャラクターを忘れない自信があった。ひとめでそう思うくらい、実際に彼らは独特な人間味にあふれていた。


ito2.jpg

(個性豊かなMSFスタッフたち)

 だから俺はグラスを片手に、下手な英語をやたらにしゃべった。谷口さんもすぐに通訳として俺に付いている必要がないと判断したらしく、あちらこちらで会話をし始める。面白いのは、他ではフランス語をしゃべるメンバーが紘子さんには片言の英語で話しかけることで、なんとそれはフランス語に堪能な紘子さんが英語も習得したいと願っているからこその、スタッフたちの気遣いなのだった。

 ここでは、すべてが何かのためなのだと俺は思った。

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

トランプ氏、領土交換はウクライナに決めさせる 首脳

ビジネス

中国人民銀行、物価の適度な回復を重要検討事項に

ビジネス

台湾、25年GDP予測を上方修正 ハイテク輸出好調

ワールド

香港GDP、第2四半期は前年比+3.1% 通年予測
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:Newsweek Exclusive 昭和100年
特集:Newsweek Exclusive 昭和100年
2025年8月12日/2025年8月19日号(8/ 5発売)

現代日本に息づく戦争と復興と繁栄の時代を、ニューズウィークはこう伝えた

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 2
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...「就学前後」に気を付けるべきポイント
  • 3
    「笑い声が止まらん...」証明写真でエイリアン化してしまった女性「衝撃の写真」にSNS爆笑「伝説級の事故」
  • 4
    「長女の苦しみ」は大人になってからも...心理学者が…
  • 5
    「何これ...」歯医者のX線写真で「鼻」に写り込んだ…
  • 6
    債務者救済かモラルハザードか 韓国50兆ウォン債務…
  • 7
    「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」(東京会場) …
  • 8
    【クイズ】アメリカで最も「盗まれた車種」が判明...…
  • 9
    【クイズ】次のうち、「海軍の規模」で世界トップ5に…
  • 10
    頭部から「黒い触手のような角」が生えたウサギ、コ…
  • 1
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 2
    イラン人は原爆資料館で大泣きする...日本人が忘れた「復讐の技術」とは
  • 3
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...「就学前後」に気を付けるべきポイント
  • 4
    「笑い声が止まらん...」証明写真でエイリアン化して…
  • 5
    職場のメンタル不調の9割を占める「適応障害」とは何…
  • 6
    これぞ「天才の発想」...スーツケース片手に長い階段…
  • 7
    【クイズ】次のうち、「軍用機の保有数」で世界トッ…
  • 8
    「長女の苦しみ」は大人になってからも...心理学者が…
  • 9
    「何これ...」歯医者のX線写真で「鼻」に写り込んだ…
  • 10
    「触ったらどうなるか...」列車をストップさせ、乗客…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    その首輪に書かれていた「8文字」に、誰もが言葉を失…
  • 6
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 7
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 8
    頭はどこへ...? 子グマを襲った「あまりの不運」が…
  • 9
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 10
    イラン人は原爆資料館で大泣きする...日本人が忘れた…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中