イラク政治にもチェンジの風
地方選でマリキ首相陣営が大勝、市民は宗派抗争や部族主義を乗り越え社会のために働く政治家を選びはじめている
かつてはアメリカの代弁者とみなされ、混沌とするイラク政界の無害で暫定的な指導者と思われていた人物が、ずいぶん変わったものだ。ヌーリ・マリキが 06年4月にイラク首相に指名されたときは、誰にとっても第一の選択肢ではなかった。しかし彼は首相の座を手放さず、着実に力をつけた。
イラクの選挙管理当局は2月5日、1月31日に実施された地方評議会選挙について、開票率90%の段階でマリキ派が14州のうち9州で勝利したと発表した。
アラブ連盟の監視団が「透明かつ高潔な」雰囲気で行われたと語った今回の地方選で、マリキ率いるイスラム教シーア派政党アッダワを中心とする法治国家連合は、急進的なシーア派指導者ムクタダ・アル・サドルを支持する勢力やスンニ派勢力、部族組織などを抑えた。投票はおおむね平和的だった。ここ数カ月は民間人の死者数が急減しており、投票率は推定51%に達する。
今回の結果は、荒廃した国の政治を変えるかもしれない。来年早々にも行われる総選挙に向けて、マリキはさらに存在感を強めるだろう。それ以上に重要なのは、イラクが宗教や部族よりも実用主義によって動かされること、そして国民が有権者として成熟したかもしれないことだ。
「宗教の話は飽きた。祈りではなく公共サービスや物が欲しい。人々がそう言いはじめた」と、マリキ政権の欧米人顧問(政権を代表して語る立場でないため匿名)は言う。「素晴らしいことに選挙が突然、宗教や血縁ではなく政治争点に基づくものになった」
その流れをつくったのはマリキ自身かもしれない。党派的で狭量なシーア派の政治家だったマリキだから、首相になればサダム・フセイン大統領時代に国を牛耳っていた少数派のスンニ派に報復しようとするだろうと、心配する声も多かった。しかしマリキは、国の治安を第一に考えるタフな政治家として自らを位置づけた。
イデオロギーより実利
さらに、アメリカに進んで立ち向かう役回りも演じた。それでも過去1年の政策はアメリカのロードマップに忠実だった。イラク軍を再建し、スンニ派との妥協を探り、国の調和を図ってきた。スンニ派・シーア派を問わず武装勢力の追放にも努めている。
マリキは自分をエル・シド(11世紀のスペインの救国の英雄)になぞらえ、主要都市のモスルとバスラで攻撃を指揮している。クルド人勢力と対決したことはアメリカを狼狽させたかもしれないが、アラブ社会での受けは良かった。
政治手法を順応させてもいるようだ。アッダワ党は中央集権型でイデオロギー色が強いが、マリキは今回の選挙で明らかに、地元ですでに有能な指導者とみなされている人物を候補に立てた。
「イラク市民はメディアのプロパガンダに影響されない自覚をもつようになった。本当の意味で自分たちの代表を選び、電力(など公共サービスへの対応)が最終的な決定力をもつようになった」と、アッダワ党の国会議員ハッサン・アル・セナイドは本誌に語った。
国民は、宗派や部族の関心事より公約を果たす候補者を選んだようだ。イラク中部のカルバラ州はマリキ派を3位に追いやり、(フセイン政権を担った)元バース党員と噂されるユスフ・マジド・ハブービが推す人物を選んだ。ハブービは地元では有能な首長として知られる。一方でアッダワ党が主導権を握る州政府は、無能ぶりと腐敗を非難されている。そして、基本的な公共サービスを提供してきた実績が党名に勝った。
「イラクでは驚くべきことだ」と、さきの欧米人顧問は言う。「彼らは新しい枠組みを築きつつあり、大きな曲がり角を抜けた。これは昨年12月に戦争が終わって1月からイラクの新しい時代が始まったことを裏づけ、イラクが新しい民主主義の道を喜んで歩きはじめていることになる」