最新記事
医療

「健康な細胞は傷つけない」──副作用を「マスク」で防ぐ、がん治療薬の可能性・最新研究

“MASKED” DRUG THERAPY

2023年4月13日(木)18時40分
アスラン・マンスロフ(米シカゴ大学博士研究員)
IL-12

IL-12のような樹状細胞(緑)が免疫細胞(赤)に「攻撃」指示を出す VICTOR SEGURA IBARRA AND RITA SERDA, PH.D., NATIONAL CANCER INSTITUTE, NATIONAL INSTITUTES OF HEALTH

<健康な細胞にダメージを与えずに腫瘍細胞だけに威力を発揮する治療薬を考案。癌細胞に近づくまでは「マスク」を外さない「優しい治療薬」は、ヒトでの治験を待つのみ>

癌の治療はつらい。体への負担が重く、心も折れる。強い抗癌剤は健康な細胞も攻撃してしまうから、いろいろな副作用が起きる。

いわゆる免疫療法(患者自身の免疫系を強化・活用するアプローチ)も同じだ。確かにたくさんの患者の延命を助けてきたが、まだ改善の余地は多く残されている。

例えば乳癌の場合でも、一般的な免疫療法で改善が見られなかったケースは少なくない。ならば薬剤を加工して、健康な細胞には作用せず、癌細胞だけを攻撃するようにすればいい。

そう考えて、米シカゴ大学プリツカー分子工学大学院に所属する筆者らは、ある有望な治療薬に「マスク」を着けさせ、癌細胞に接近したらマスクを外して攻撃するような仕組みを考案した。

私たちの体内にはサイトカインと呼ばれるタンパク質(細胞の増殖などを促進する)があり、免疫系にさまざまな指示を出している。例えば白血球の一種であるキラーT細胞を活性化し、癌細胞を攻撃させる。

副作用をマスクで防ぐ

そんなサイトカインの1つにインターロイキン12(IL-12)がある。発見から30年以上たつが、肝臓などに及ぼす副作用が強いため、まだアメリカでは癌治療薬として承認されていない。IL-12が指示を出すと、免疫細胞は健康な細胞にも襲いかかり、ひどい炎症を起こしてしまう。

これを、どうやって防ぐか。まず私たちは、癌細胞と健康な細胞の重大な相違点に着目した。癌細胞がある種の成長促進酵素を過剰に含んでいる事実だ。癌細胞が急速に大きくなり、全身に転移していくのは、こうした酵素を大量に生み出しているからだ。

健康な細胞の増殖速度はもっと遅く、この種の酵素の量も少ない。この知見を踏まえ、筆者らはIL-12に「マスク」を着けさせることにした。

IL-12が免疫細胞と結合する部分をマスクで塞ぎ、癌細胞の近くにある特定の酵素に触れたらマスクが外れるように工夫した。マスクを外したIL-12は直ちにキラーT細胞などの免疫細胞に指示を出し、癌細胞に総攻撃をかけさせる──はずだ。

そこで皮膚癌と乳癌の患者から提供された健康な細胞と癌化した細胞を用い、両方にマスク付きのIL-12を与えたところ、癌細胞ではマスクが外れたが、健康な細胞ではマスクが外れなかった。

つまり、マスク付きIL-12なら健康な細胞に害を及ぼすことなく、癌細胞に対してのみ強力な免疫反応を起こせるものと考えられる。

次は動物実験だ。筆者らはマウスにマスク付きIL-12を投与し、数週間にわたって肝臓障害のバイオマーカーを測定した。その結果、IL-12で起きやすい免疫関連の副作用はほぼ見られなかった。

また、このマスク付きIL-12を乳癌細胞に与えた実験では90%の治癒率が得られた。通常の免疫チェックポイント阻害剤を用いた免疫療法の治癒率は10%程度だから、大きな違いがある。なお大腸癌細胞を用いた同様な実験での治癒率は100%だった。

次のステップは医療機関などの協力を得て、実際の患者に投与する臨床試験だ。これは慎重にやらねばならず、時間もかかる。でも患者に優しい薬だから、きっと承認される日は近い。


The Conversation

Aslan Mansurov, Postdoctoral Researcher in Molecular Engineering, University of Chicago Pritzker School of Molecular Engineering

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

経営
「体が資本」を企業文化に──100年企業・尾崎建設が挑むウェルビーイング経営
あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

ハセット氏のFRB議長候補指名、トランプ氏周辺から

ビジネス

FRBミラン理事「物価は再び安定」、現行インフレは

ワールド

ゼレンスキー氏と米特使の会談、2日目終了 和平交渉

ビジネス

中国万科、償還延期拒否で18日に再び債権者会合 猶
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジアの宝石」の終焉
  • 3
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の展望。本当にトンネルは抜けたのか?
  • 4
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 5
    「なぜ便器に?」62歳の女性が真夜中のトイレで見つ…
  • 6
    トランプが日中の「喧嘩」に口を挟まないもっともな…
  • 7
    極限の筋力をつくる2つの技術とは?...真の力は「前…
  • 8
    世界の武器ビジネスが過去最高に、日本は増・中国減─…
  • 9
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 10
    アダルトコンテンツ制作の疑い...英女性がインドネシ…
  • 1
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出を睨み建設急ピッチ
  • 2
    デンマーク国防情報局、初めて米国を「安全保障上の脅威」と明記
  • 3
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だから日本では解決が遠い
  • 4
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の…
  • 5
    【クイズ】「100名の最も偉大な英国人」に唯一選ばれ…
  • 6
    中国軍機の「レーダー照射」は敵対的と、元イタリア…
  • 7
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジア…
  • 8
    人手不足で広がり始めた、非正規から正規雇用へのキ…
  • 9
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」…
  • 10
    首や手足、胴を切断...ツタンカーメンのミイラ調査開…
  • 1
    東京がニューヨークを上回り「世界最大の経済都市」に...日本からは、もう1都市圏がトップ10入り
  • 2
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸送機「C-130」謎の墜落を捉えた「衝撃映像」が拡散
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    「999段の階段」を落下...中国・自動車メーカーがPR…
  • 5
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 6
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 7
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 10
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中