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命より金?『イカゲーム』が暴く、追い詰められた人間の闇の心理学

The Dark Psychology of Money

2025年7月24日(木)18時56分
エドワード・ホワイト(英キングストン大学の心理学者)
命より金?『イカゲーム』が暴く、追い詰められた人間の闇の心理学

ギフンは人間性を失うまいとするが

<「金か死か」のデスゲームがシーズン3でついに最終章。ただのスリルや暴力描写で終わる作品ではない。恐ろしくもリアルな心理実験なのだ>

「私とゲームをしませんか?」借金まみれのギフン(イ・ジョンジェ)は謎の仲介人(コン・ユ)に誘われて借金地獄から抜け出すチャンスを手に入れる──人の命、ひょっとすると自分の命と引き換えに。

ネットフリックスで独占配信中の人気シリーズ『イカゲーム』が、シーズン3でついに最終章を迎えた。このドラマがファンの心をつかみ続けるのは、経済的ストレスがいかに人の心をゆがめ、決断に影を落とすかという闇の心理学をあぶり出すからだ。


私は感情のコントロールが意思決定や道徳的推論に及ぼす影響を研究しているが、本作が世界中で大反響を呼んだ理由を認知心理学の観点から説明できる。

11万1000人余りを対象に経済的ストレスと認知機能の関連性を分析した最近の研究によれば、経済的ストレスは基本的な作業の能率を低下させる──要は注意力を奪われるのだ。家賃や借金をめぐる不安が精神的疲労を招く。未払いの請求書が気になって道徳的推論や長期的思考が難しくなる。

本作はまさにそれを描いている。シーズン1のサンウ(パク・ヘス)はソウル大学出の秀才だが、投資に失敗して多額の借金を抱え、残忍なゲームに参加する羽目に。上流社会のマナーをかなぐり捨てて、ビー玉遊びでペアを組んだアリ(アヌパム・トリパティ)を操り、裏切る。飛び石渡りではガラスの橋から男を突き落とし、最後には幼なじみのギフンを殺そうとする。

サンウの知性は生き残ることのみに注がれ、普段のように道徳的推論を基準に決断を下す精神的余裕はない。

眼中にあるのは賞金だけ

本作は経済的絶望が人間性を奪う様子もえぐり出す。死屍累々の光景に参加者はほとんど反応しない。彼らの目は誰かが死ぬたびに増えていく賞金額を映し出すディスプレイにクギ付けだ。

そのせいで他人に助けを求めたり、他人を助けたりすることが減る。こうした「心理的視野狭窄」は現実の世界でも起こり、共感や道徳的配慮の放棄につながる。

サンウがアリを裏切るのは、金銭的絶望のために道徳的推論ができなくなったせいだ。ビー玉遊びをしているときのアリの顔には、混乱と信頼、「ヒョン(兄)」と慕うサンウに操られる可能性に対する戸惑いが浮かぶ。アリは絶望が人間をコミュニティーではなく競争相手に変えたときに私たちが失うものの象徴だ。

道徳を象徴するはずのギフンも例外ではない。彼は参加者の老人イルナム(オ・ヨンス)を気にかけるようになるが、ビー玉遊びではイルナムに嘘をついて彼を操る。極度の(金銭的・致命的)プレッシャーで認知機能が低下し、他人を思いやるより自分が生き残ることを優先する。

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参加者は番号で呼び合う

シーズン1の配信開始当時、世界はコロナ禍の真っただ中で、何百万人もが失業や立ち退きや財政破綻に直面していた。ドラマの極端な経済シナリオの非現実感は薄れ、視聴者は登場人物たちの心理的葛藤に自分を重ねた。

このドラマが大ヒットしたのは不快な真実を暴くからだ。金は私たちにできることを変え、命懸けのゲームは人間を別人にする。

経済的トラウマに対する登場人物の反応はそれぞれ違う。シーズン1でギフンは人間性をなくすまいとするが、母親に金のことで嘘をつき、イルナムを操る。サンウは生き残るためなら手段を選ばない。その一方で、セビョク(チョン・ホヨン)を生かすためにわざと負けるジヨン(イ・ユミ)のように連帯が生まれるケースもある。

登場人物に自分を重ねて

特に素晴らしいのはディテールだ。経済システムが人間を数値化するように、参加者は名前ではなく番号で呼び合う。警備員は仮面を着けシステムの顔のない執行者と化す。臓器摘出というサブプロットさえ、人の体を闇市場の商品に変えられるほどに商品化が進み得ることを示している。

シーズン3では『イカゲーム』自体が商品になった。ネットフリックスはドラマの資本主義批判を10億ドル規模のフランチャイズに変え、ドラマで描かれる搾取を(殺人抜きで)再現するリアリティー番組まで製作した。

屈辱的な見せ物は競争と変容に焦点を当てることで正常化され、失敗はエンターテインメントになる。本作でも富に飽きたVIPたちが「楽しみ」のために人間の命で賭け事をする。

リアリティー番組を楽しむ人は、自分は正しく、道徳に縛られないと感じる傾向が強く、そうした価値観を刺激する番組に引かれるという研究結果もある。

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VIPたちは命懸けのゲームを観戦して楽しむ

『イカゲーム』が好きな人は登場人物に自分を重ねている。ゲームの精神的プレッシャーが、自分が金に困ったときの現実の(心理的)メカニズムを反映していると自覚している可能性が高い。

ドラマの暴力や過剰な人気に嫌悪感を覚える場合は、経済的不安の処理方法が原因かもしれない。成人視聴者が対象の研究によれば、経済的に安定し感情を抑制できる人は、経済的ストレス反応を引き起こすコンテンツを避けがちだ。もしくは「非現実的」と片付ける──心理学でいう「楽観バイアス」で、無意識に自分は大丈夫と考える。

『イカゲーム』はこうしたわずかな心理的ストレスを極限まで増幅してみせる。経済格差が広がり続ける世界に生きる人々の経済的不安を映し出す鏡なのだ。

The Conversation

Edward White, PhD Candidate in Psychology, Kingston University

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.


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