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マリオ・バルガス・リョサは「ミリ単位」の精密な芸術作品を作り続けていた...ラテンアメリカ文学の巨匠が逝く

Passing of a Master

2025年4月22日(火)19時55分
アンヘル・エステバン・デル・カンポ(スペイン・グラナダ大学教授〔ラテンアメリカ文学〕)
スペインの首都マドリードにあるバルガス・リョサの名を冠した公共図書館には追悼コーナー

スペインの首都マドリードにあるバルガス・リョサの名を冠した公共図書館には追悼コーナーが設けられた(4月15日) GUSTAVO VALIENTEーEUROPA PRESS/GETTY IMAGES

<権力乱用、独裁、嘘、復讐、憎悪、そして個人の自由への攻撃を容赦なく批判する一方で、人間の欠点や逸脱には寛容だった...>

4月13日に発表されたペルーの作家マリオ・バルガス・リョサの死は、ラテンアメリカ文学の黄金期の終わりを告げるものだ。

スペインにはセルバンテスやロペ・デ・ベガ、カルデロン・デ・ラ・バルカ、ゴンゴラ、ケベードなど、16〜17世紀に活躍した世代は再び現れない。

それと同じくラテンアメリカにも、バルガス・リョサやガルシア・マルケス、コルタサル、バジェホ、ネルーダ、ボルヘス、カルペンティエル、フエンテスのような20〜21世紀の世代は再び現れないだろう。

【動画】マリオ・バルガス・リョサの訃報を伝えるスペインの公共放送 を見る


小説の技巧を鋭く意識することで、バルガス・リョサは同時代で最も熟達した作家の1人になった。書くこと、生み出されたテキストを完璧なものにすることについて、彼は絶対的な厳しさで臨んだ。

私は彼に何度かインタビューし、ロンドン、マドリード、ニューヨーク、ペルーにある彼の仕事場のほぼ全てに足を踏み入れた。彼が作業環境に求める物理的な秩序は人並み外れていたが、執筆の際の精神的な秩序についても細部まで配慮され、それは時間に対する強迫的なまでの正確さに根差していた。

彼は午前中に訪問客を迎えることは一切なく、午後も6時か7時前に来客を受けることはほとんどなかった。『若い小説家に宛てた手紙』(1997年)に書いているように、彼は天才とは生来のものではなく、努力と粘り強さのたまものだと確信していた。

この禁欲的で力強い精神は、作品に刻み込まれている。ノーベル文学賞受賞者である彼の作品群は、時計仕掛けのような精密さで構想され、ミリ単位で作り上げられた芸術品だ。

無駄な言葉は1つもなく、回収されない伏線もない。400ページに及ぶ作品でも、凝縮された短編小説のような緊張感を携えていることがある。

彼は私にこう語ったことがある。執筆前にはベッドシーツほどの大きな紙を広げる。そこに登場人物の相関図を記し、彼らがいつ出会い、別れ、対立し、愛し、憎しみ、死んだかを書き、それぞれの人生における重要な出来事を簡潔に書き込む。この作業を終えるまで執筆は始めない。

この作業の前に、彼はプロットの細部の設定を徹底的に行う。歴史小説でもフィクションでも、常に時代と場所について入念に調べ、地理、気象、歴史の条件も把握した。

バルガス・リョサの勤勉さが称賛に値するなら、彼の知性も同じだ。人間の能力と経験、そして隠れた側面を探求する鋭い能力に満ちていた。

彼の小説の多くについては、ペルーの作家・批評家フリオ・オルテガがそれらを評した「悪の考古学」という言葉が全てを表している。善良さと美徳に満ちた単調さからは面白い小説が生まれないことを、彼は知っていた。そこには対立が不可欠だった。

バルガス・リョサはむしろ、個人的および集団的な卑しさに焦点を当てた。これは読者を引き付けただけでなく、恒常的で根源的な批判の発信点となり、時代の観察者、証人、そして裁き手としての彼の役割を確立した。

彼は権力乱用、独裁、嘘、復讐、憎悪、そして個人の自由への攻撃を容赦なく批判する一方で、人間の欠点や逸脱には寛容だった。同時に彼は快楽と人生をゲームとして捉え、苦難を克服し前進する手段にしていた。

深い概念を平易な言葉で

バルガス・リョサは、世界中にいる自分の読者がどう思うかは頓着せず、常に自分の考えを述べた。意見記事や講演で、談話やインタビュー、私的な会話で、彼はそのように振る舞った。常に礼儀正しかったが、オーディエンスを敵に回すことを恐れなかった。

同じように、彼の小説は幅広いテーマに対して普遍的なアプローチを取った。これによって彼は、スペイン語文学で最も多才な作家の1人になった。

同じ作品の焼き直しを永遠に書き続けたり、物語の中心に自分自身を置いたりする他の多くの作家とは異なり、質、多様性、完璧さ、独創性、そして技術的な実験が彼の文学活動を特徴付けていた。

ある友人が最近冗談めかして言ったように、「彼に残された仕事は、『ドン・キホーテ』を書くことだけだった」のだ。

彼の小説のうち5作は、スペイン語で書かれた10作の最高の小説の中に入れるべきものだ。その5作とは『都会と犬ども』(63年)、『緑の家』(66年)、『ラ・カテドラルでの対話』(69年)、『世界終末戦争』(81年)、そして『チボの狂宴』(2000年)だ。

彼のエッセーも、内容とスタイルの両方において真の芸術作品だ。深遠な概念を平易な言葉と圧倒的な論理で説明するその方法は、彼を現代世界で最も偉大な弁論家・随筆家の1人にした。

23年に最後の小説として発表した作品のタイトル『あなたに私の沈黙をささげる(Le dedico mi silencio)』に、読者に対する彼の思いが表れていたものの、いま私たちの多くは親を亡くした子供のような思いでいる。

私たちに読み書きを教え、隠された世界を白日の下にさらし、文学の道へ導いてくれた人を失ったというだけでなく、彼の死が二度と戻らない時代の終わりを告げるためでもある。

それでも、今日の私たちがラテン文学の黄金期を築いたラテン語詩人の1人であるウェルギリウスについて語るのと同じように、今から20世紀後の人々はバルガス・リョサのことを語るのだろう。私たちはそこに慰めを見いだすことができる。

The Conversation

Ángel Esteban del Campo, Catedrático de Literatura Hispanoamericana, Universidad de Granada

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

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