スターの特権を悪びれずに利用...ショーン・ペンからゼレンスキーへのラブレター映画『スーパーパワー』は「見事な作品」
Sean Penn’s Ukraine Testimony
礼儀正しいペンの判断は映画的にも、歴史の上でも誤りだった。その日の夜、防空壕に移ったゼレンスキーを、今度はカメラと一緒に訪れたペンは変化に気付く。
「今日の午後に会ったのは、スーツ姿の魅力的な若い大統領だった。それが突然、戦時大統領になっていた」と、インタビュー後にペンは言う。ゼレンスキーの態度は「勇気という言葉そのものだった」。
それから1年以上が過ぎた時点のインタビューで、あの日の午後と夜の間に「あなたに変化が起きたのが分かった」と、ペンは振り返った。「歴史の極限の瞬間のために、あなたは生まれてきたようだった」。ペンの発言に、ゼレンスキーはうなずく。
その変化を、私たちも目撃できていたら......。ゼレンスキーが「普通の人」だった最後の時間と、国家の英雄で世界的指導者になった最初の瞬間の相違を目にできれば、啓示的体験になっただろう。
元駐ウクライナ米大使やウクライナ人ジャーナリスト、ロシア軍の攻撃の被害者(爆撃で破壊された家や町の様子が映し出される)にも、ペンは話を聞く。短時間ながら、自ら前線を訪れる場面もある。
疑問なのは、その前線訪問だ。義務だと考えたのかもしれないが、必要だったのか。
世話係の女性は、こう言う。「あなたはショーン・ペンです。あなたが前線で死んでも、誰も責任を取れない」
言い換えれば、ペンが大きなリスクを負うことは許されず、同行した人々はおそらくより緊急性の高いほかの任務を後回しにしたということだ。
とはいえ、ペンとその撮影チームに付き添うのは、その時点では最優先事項だったのかもしれない。当時、ウクライナ軍が切実に必要としていた軍事支援に、欧米各国は踏み切っていなかった。ウクライナの味方である有名俳優を前線に案内することには、手間に見合う価値があると計算したのかもしれない。
ペンには、それが分かっていた。ウクライナから帰国後は、アメリカやロシアのテレビ番組など、あらゆる機会を捉えてゼレンスキーをたたえた。勇敢なウクライナ国民を代表する「知性と愛情と勇気のある人物」だ、と。