最新記事

音楽

「中身は空っぽのアイドル」の呪縛から、ついに解放されたハリー・スタイルズ

Shrugging Off Rock Stardom

2022年6月10日(金)12時30分
カール・ウィルソン(音楽評論家)

それが成功していることを雄弁に物語るのが、先行シングル「アズ・イット・ワズ」の大ヒットだろう。ロックの伝統も、トレンドも気にしなくていい。スタイルズ自身が持つ強烈な魅力が、独自の軌道を生み出すのだ。

特にアルバムの後半がいい。例えば「キープ・ドライビング」では、「ワイングラス/パフ・パス/ライオット・アメリカ/科学と食料品/バスルームのライフハック」といったランダムな言葉が、シンセサイザーの軽いざわめきのようなサウンドに弾むように重なる。

このアルバムには、遠距離恋愛の不安定な関係をテーマにしたと思われる曲が多く含まれるが、これもその1つだ。親密な関係を期待しているけれど、確信を持てない心情がうまく表現されている。

「サテライト」も、世界のどこかで離れ離れになっている恋人たちを歌う。最初は甘いポップロック調だが、最後の1分は衛星の軌道が大きく乱れるように、楽観的な展望を打ち砕く激しいサウンドになだれ込んでいく。

だが、『ハリーズ・ハウス』は不安に満ちた曲ばかりではない。1曲目の「ミュージック・フォー・スシ・レストラン」は、おどけたメタファーとプリンス風のファンキーなサウンドが楽しい曲だ。「アズ・イット・ワズ」は80年代ポップスの王道的な曲調だし、次の「デイライト」はネオ・ソウル調の心地よい曲だ。

7曲目の「マチルダ」は、ギターとピアノが中心のバラード。だがテーマは恋愛ではなく、冷酷な家族に苦しむ友達に、「僕が口を挟むことではないけど/ちょっと思ったから言うよ」と助言する曲だ。

「(家族の元を)離れても、申し訳ないと思わなくてもいいんだ」と、スタイルズは歌う。具体的な家族問題が何かは語られないが、これだけでも性的少数者のファンの心には強く響くに違いない。

次の「シネマ」は、そのタイトルから、スタイルズが交際を噂される女優・映画監督のオリビア・ワイルドとの関係を示唆しているのではないかと、ファンとタブロイド紙は歌詞の分析に血眼になるかもしれないが、あまり発見はなさそうだ。

細野晴臣のアルバムに影響を受けた

『ハリーズ・ハウス』というタイトルは、日本のサイケデリックフォークと「シティ・ポップ」のパイオニアである細野晴臣の73年のアルバム『HOSONO HOUSE』に着想を得たと、スタイルズは語っている。

『HOSONO』は、ホームレコーディングの草分け的なアルバム。スタイルズもコロナ禍のさなか、自宅でのアルバム制作を考えたという。結局そうはならなかったのだが、ずっと世界を飛び回ってきた彼が、スタジオに腰を落ち着けてアルバム制作に集中したこと、そしてほとんどの曲がスタイルズとキッド・ハープーン、タイラー・ジョンソンの3人で作られたことが、手作り感のあふれる仕上がりにつながったようだ。

『ハリーズ・ハウス』は、10年後も聴き直したいと思える名盤とは言い難いが、大いに楽しめることは間違いない。スタイルズの次なる飛躍の重要な土台になることだろう。

©2022 The Slate Group

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米政権、10%の代替関税発動 15%への引き上げ方

ワールド

アンソロピック、AI軍事利用の制限緩和しない意向=

ワールド

米国務省、ロシア攻撃で米の利益損なわないよう警告 

ビジネス

ワーナー、パラマウントと交渉へ 1株31ドルの新提
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:日本人が知らない AI金融の最前線
特集:日本人が知らない AI金融の最前線
2026年3月 3日号(2/25発売)

フィンテックの進化と普及で、金融はもっと高速に、もっとカジュアルに

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    アルコールは血糖値を下げる...「脳と血管を守る」医師がすすめる意外な健康習慣
  • 2
    米国の中国依存が低下、台湾からの輸入が上回る
  • 3
    命は長し、働け女たち――88歳「働くばあさん」が説く高齢期の「4つの覚悟」
  • 4
    3頭のクマがスキー客を猛追...ゲレンデで撮影された…
  • 5
    「水道水」が筋トレの成果を左右する...私たちの体に…
  • 6
    カビが植物に感染するメカニズムに新発見、硬い表面…
  • 7
    「IKEAも動いた...」ネグレクトされた子猿パンチと「…
  • 8
    「極めて危険」──ゼレンスキー、ロシアにおける北朝…
  • 9
    IMF、日本政府に消費減税を避けるよう要請...「財政…
  • 10
    武士はロマンで戦ったわけではない...命を懸けた「損…
  • 1
    「ヘル・コリア」から日本へ7万人 ── 大企業の高給より日本の「100%就職率」を選ぶ若者たち
  • 2
    アルコールは血糖値を下げる...「脳と血管を守る」医師がすすめる意外な健康習慣
  • 3
    命は長し、働け女たち――88歳「働くばあさん」が説く高齢期の「4つの覚悟」
  • 4
    「水道水」が筋トレの成果を左右する...私たちの体に…
  • 5
    「#ジェームズ・ボンドを忘れろ」――MI6初の女性長官…
  • 6
    カビが植物に感染するメカニズムに新発見、硬い表面…
  • 7
    海外(特に日本)移住したい中国人が増えている理由.…
  • 8
    100万人が死傷、街には戦場帰りの元囚人兵...出口な…
  • 9
    ロシアに蔓延する「戦争疲れ」がプーチンの立場を揺…
  • 10
    米国の中国依存が低下、台湾からの輸入が上回る
  • 1
    【クイズ】致死率50~75%...インドで感染拡大「ニパウイルス」の感染源となる動物は?
  • 2
    ウクライナ戦闘機「F-16」がロシア軍「シャヘド」を空中爆破...地上から撮影の「レア映像」を公開
  • 3
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 4
    台湾侵攻「失敗」の大きすぎる代償
  • 5
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 6
    セーターが消えた冬 ── 暖かさの主戦場が「インナー」…
  • 7
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた…
  • 8
    「ヘル・コリア」から日本へ7万人 ── 大企業の高給より…
  • 9
    中国、パナマ運河の港湾喪失でパナマに報復──トラン…
  • 10
    「罠に嵌められた」と主張するが...欧州で次々と摘発…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中