波乱万丈なグッチ一族を描く『ハウス・オブ・グッチ』の、華麗で退屈な魅力
House of Goofy
ガガの熱演も見どころ
もちろん、イタリア人がイタリアでイタリア語なまりの英語で会話をするはずがないのだが、そこをあげつらうのは、やぼというもの。グッチという企業について学びたい、登場人物たちの動機を知りたいといった期待を捨てれば、かなり楽しめる映画だ。
幕開けは軽やかだ。運送会社の受付係をしている派手好みなパトリツィアは、ミラノで法学を勉強中のグッチ家の跡取り息子マウリツィオと恋に落ちる。
1972年、2人はマウリツィオの父の反対を押し切って結婚。パトリツィアは優雅に狡猾に一族の権力闘争を乗り切り、お高くとまった義父と強大な力を持つアルドの両方に一目置かれる存在になる。ブランドアイデンティティーを堅持し斬新なデザインを打ち出す企業にグッチを育てたいと、未来を思い描く。
片やそこまで先を見る目に恵まれないマウリツィオは、マクベスのように妻の言いなりになる。愛人を囲い、権力に溺れて転落していく。そして95年、マウリツィオが殺害される事件が起き──。
「妻は着せ替えごっこが好きなんです」と、あるシーンでマウリツィオは言う。パトリツィアだけでなく、ガガのキャラクターをも言い当てたセリフだ。
ファッションの世界的権威であるガガは、衣装にヒロインの人柄と人生を語らせた。パトリツィアは60年代のセクシーな受付嬢から、肩パッド入りのスーツにゴールドのヘビ形チョーカーを着けた80年代の辣腕ビジネスウーマンへと変貌を遂げる。
ガガの演技は最高の意味でオペラ的。自分を捨てた夫を訪ね、結婚生活の思い出が詰まったアルバムを涙ながらに差し出す終盤のシーンは、いっそプッチーニのアリアにセリフを乗せて演じてほしかった。ガガならできたはずだ。
『ブレードランナー』になれるか
後半に、ある登場人物が別の人物を「凡庸さの勝利」と評するシーンがある。この矛盾した表現は、作品自体にも当てはまる。『ハウス・オブ・グッチ』はいわば華麗なる我慢大会であり、素晴らしき退屈なのだ。
私自身はこの映画のセリフを暗記し、偽造小切手やコーヒーカップといった小道具を手に『ロッキー・ホラー・ショー』のような応援上映に行くつもりはない。だが、この作品がいつか世界中でセリフを引用されるスコットの傑作『ブレードランナー』並みのカルト映画になるなら、それはそれで異議はない。
パトリツィアが恋敵に言い放ったように、私は「特に道徳心は強くないが、フェアな人間」なのだ。
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