最新記事

海外ノンフィクションの世界

アベンジャーズ生みの親スタン・リーの生涯 「私は売文ライターだった」

2019年4月25日(木)10時55分
高木 均 ※編集・企画:トランネット

評伝であり、ポップカルチャーを通したアメリカ精神史でもある

スタン・リーが新しいキャラクターのアイデアを得るとき、それは虚空からつかみ取ってきたものではなく、これらのキャラクターが生み出された時代、激動の60年代から70年代を覆っていた時代精神とも無縁ではなかった。

作家・詩人であるジョン・アップダイクの評伝などの著作もあり、アメリカ文化史の研究家であるバチェラーは、同時代のカルチャーシーンの中にスタン・リーを置くことで、彼が時代とどう向き合い、時代とどう切り結んでいったのかをそのキャラクターやストーリーの中に紐解いていく。

そういう意味で、本書はスタン・リーというユニークな人物の評伝であるだけでなく、ポップカルチャーを通して見たアメリカ精神史としても読めるだろう。

印象的なセンテンスを対訳で読む

以下は『スタン・リー:マーベル・ヒーローを創った男』の原書と邦訳からそれぞれ抜粋した。

●In later years, he often cited Shakespeare as his most important influence, because of the commitment to drama and comedy, which shaped the young Lee's ideas about creativity and storytelling. Lee enjoyed Shakespeare's "rhythm of words," explaining, "I've always been in love with the way words sound."
(後年、彼〔リー〕は最も影響を受けた作家としてシェイクスピアを挙げている。ドラマとコメディに強い興味を持っていたことがその理由だ。この読書体験が若きスタン・リーの創作やストーリーテリングに関する考えを形作った。とりわけ彼はシェイクスピアの《言葉のリズム》を楽しんだ。リーいわく、「私はいつも言葉の響きに魅せられてきた」)

――コミックのライターがシェイクスピアを持ち出すとは大げさな、と言う向きもあるかもしれないが、まるで言葉が増殖していくようにフキダシいっぱいにびっしりと埋められた台詞や、時として大言壮語ともいえるリーお得意の惹句を読んでいくと、リーの文体が一種詩的な格調の高さを持っていることに気づく。本書の著者バチェラーは「スパイダーマンやアベンジャーズを読みたいがあまりに独学で読むことを学んだ」と回想しているが、これもリーの書く言葉が決して子供向けに調子を下げたものではなかったからだ。ピーター・パーカーやファンタスティック・フォーといった頭韻を好むところにも、リーの言葉の響きへのこだわりが感じられる。

●From a literary standpoint, Spider-Man tapped into the era's existentialism―an average person who fell victim to an accident that changed his life in every way imaginable.
(文学的観点から見ても、スパイダーマンはこの時代の実存主義に通じるものがあった。平凡な人間が偶然何かの事件に巻き込まれ、あらゆる点でそれまでとは違う人生を送らねばならなくなる)

――スパイダーマンと実存主義の関係とは? 実存主義のテーゼが「実存は存在に先立つ」であるとすれば、ヒーローという存在は主体の実存的選択によって決まる。ボーヴォワールになぞらえれば、「ヒーローはヒーローとして生まれてくるのではない。ヒーローになるのだ」とでもいえるだろうか。そういう意味でスパイダーマンはすぐれて実存主義的なヒーローだといえる。

●Some people viewed getting their cherished comic book signed by Lee as the culmination of a lifetime of experiences with Marvel and its superheroes.
(愛してやまないコミックブックにリーのサインを貰った瞬間、マーベルのスーパーヒーローと共に歩んできた自らの人生がクライマックスを迎えたかのように感じる者もいた)

――スタン・リーはコミックブックの最後に読者コーナーを設け、自らに《スマイリング・スタン・リー》《スタン・ザ・マン》という愛称を付けて読者との親睦を深めていった。この読者との交流をリーは「マーベル・ユニバースを1つの巨大な冗談として共有し、このクレイジーな世界を大いに楽しむ遊び」と表現している。この読者コーナーはティーンエイジャーの読者の心をつかみ、彼らは成人した後もマーベルコミックの忠実なファンであり続けた。そうしてかつて存在しなかった種類のファン、筋金入りのアメコミオタクという層が形成されていった。

◇ ◇ ◇

現代のアメリカン・ポップカルチャーだけでなく、全世界を覆うオタク文化を語る上でスタン・リーの果たした役割は大きい。4月26日から公開される映画『アベンジャーズ/エンドゲーム』によってアベンジャーズ・サイクルがいったん終了を迎える今、本書でもう一度スタン・リーの業績を振り返るのも悪くないだろう。

trannet190425stanlee-book.jpg
『スタン・リー:マーベル・ヒーローを作った男』
 ボブ・バチェラー 著
 高木 均 訳
 草思社

トランネット
出版翻訳専門の翻訳会社。2000年設立。年間150~200タイトルの書籍を翻訳する。多くの国内出版社の協力のもと、翻訳者に広く出版翻訳のチャンスを提供するための出版翻訳オーディションを開催。出版社・編集者には、海外出版社・エージェントとのネットワークを活かした翻訳出版企画、および実力ある翻訳者を紹介する。近年は日本の書籍を海外で出版するためのサポートサービスにも力を入れている。
http://www.trannet.co.jp/

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ワールド

トランプ氏、不法滞在者の送還拡大に言及 「全リソー

ビジネス

焦点:日鉄、巨額投資早期に回収か トランプ米政権の

ビジネス

香港取引所、東南アジア・中東企業の誘致目指す=CE

ワールド

米ミネソタ州議員射殺事件、容疑者なお逃走中 標的リ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:非婚化する世界
特集:非婚化する世界
2025年6月17日号(6/10発売)

非婚化・少子化の波がアメリカもヨーロッパも襲う。世界の経済や社会福祉、医療はどうなる?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「タンパク質」より「食物繊維」がなぜ重要なのか?...「がん」「栄養」との関係性を管理栄養士が語る
  • 2
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高にかっこいい」とネット絶賛 どんなヘアスタイルに?
  • 3
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波でパニック...中国の輸出規制が直撃する「グローバル自動車産業」
  • 4
    サイコパスの顔ほど「魅力的に見える」?...騙されず…
  • 5
    林原めぐみのブログが「排外主義」と言われてしまう…
  • 6
    メーガン妃とキャサリン妃は「2人で泣き崩れていた」…
  • 7
    若者に大不評の「あの絵文字」...30代以上にはお馴染…
  • 8
    さらばグレタよ...ガザ支援船の活動家、ガザに辿り着…
  • 9
    ハルキウに「ドローン」「ミサイル」「爆弾」の一斉…
  • 10
    構想40年「コッポラの暴走」と話題沸騰...映画『メガ…
  • 1
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の瞬間...「信じられない行動」にネット驚愕
  • 2
    大阪万博は特に外国人の評判が最悪...「デジタル化未満」の残念ジャパンの見本市だ
  • 3
    「セレブのショーはもう終わり」...環境活動家グレタらが乗ったガザ支援船をイスラエルが拿捕
  • 4
    「サイドミラー1つ作れない」レアアース危機・第3波で…
  • 5
    ブラッド・ピット新髪型を「かわいい」「史上最高に…
  • 6
    ファスティングをすると、なぜ空腹を感じなくなるの…
  • 7
    今こそ「古典的な」ディズニープリンセスに戻るべき…
  • 8
    アメリカは革命前夜の臨界状態、余剰になった高学歴…
  • 9
    右肩の痛みが告げた「ステージ4」からの生還...「生…
  • 10
    脳も体も若返る! 医師が教える「老後を元気に生きる…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    【定年後の仕事】65歳以上の平均年収ランキング、ワースト2位は清掃員、ではワースト1位は?
  • 3
    日本はもう「ゼロパンダ」でいいんじゃない? 和歌山、上野...中国返還のその先
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    大爆発で一瞬にして建物が粉々に...ウクライナ軍「Mi…
  • 7
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 8
    あなたも当てはまる? 顔に表れるサイコパス・ナルシ…
  • 9
    ドローン百機を一度に発射できる中国の世界初「ドロ…
  • 10
    【クイズ】EVの電池にも使われる「コバルト」...世界…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中