最新記事

領土問題

アラブの怒りより日中の怒りが怖い理由

日中が尖閣諸島をめぐって躍起になるのは内政の危機においてナショナリズムが切り札になるからだ

2012年10月23日(火)14時16分
ニーアル・ファーガソン(本誌コラムニスト、ハーバード大学歴史学部教授)

争いの起点 当事国以外の人間から見れば尖閣諸島は岩だらけの小島にすぎない. Tokyo Metropolitan Government-Reuters

 昨今は世界中で怒りがブームになっているようだ。アメリカで制作された映画が預言者ムハンマドを冒涜しているとみたイスラム教徒の怒りが中東各国で炎上。リビアではアメリカ大使を殺害する事件にまで発展した。

 この事件そのものより気掛かりなのは米オバマ政権の情けない対応だが、それ以上に懸念すべきなのはこれとはまったく違うタイプの怒りかもしれない。度を越したナショナリズムに突き動かされた中国人の怒りだ。

 先日は北京駐在のアメリカ大使ゲーリー・ロックが怒れる中国人に取り囲まれた。幸い大事には至らなかったが、私が彼なら50人の中国人ナショナリストに囲まれて「アメリカの帝国主義を倒せ! 勝つのは中国だ!」とシュプレヒコールを上げられれば、良い気分はしなかっただろう。

 彼らが「勝つ」と叫んでいたのは、日本では尖閣諸島、中国では釣魚島と呼ばれる、小さな無人島群の領有権をめぐる争いだ。それは、5つの島と3つの岩礁から成る総面積6.3平方キロ足らずの島しょ群。米アラスカ州に属する2つの小島をめぐってカナダ人がアメリカ大使館前で抗議するようなものだ。

 当事国以外の人間は、まさかそんなことでと思うかもしれない。だが大規模な戦争が小さな土地をめぐって勃発したケースは過去にもある。例えば、第一次大戦の発端はボスニアとヘルツェゴビナをめぐる領有権争いだった。第二次大戦は、実質的なポーランド管理下の自由市グダニスク(ドイツ名はダンツィヒ)をナチス・ドイツが奪還しようとして勃発した。

 史料からは尖閣諸島は中国・清王朝の領土だったが、1895年に日本に併合されたことになっている(日清戦争)。第二次大戦後の45年以降はアメリカの管理下に置かれ、71年に日本に返還されたが、中国も台湾もこの取り決めを認めていない。

貿易戦争勃発を回避せよ

 日本政府は先日、尖閣諸島の国有化を発表し、中国人ナショナリストの感情をさらに逆なでした。ロック大使が襲われた北京をはじめ広州や瀋陽など反日デモは中国全土に拡大した。

 1930~40年代の血塗られた日中間の歴史を考えればこの事態は深刻に捉えるべきだ。世界第2位と3位の経済大国を、貿易戦争勃発という危機に直面させるのは誰にとっても得策ではない。北アフリカ諸国の取るに足らないアラブ経済とは異なり、日中の経済を合わせると世界経済の5分の1を占める。しかも両国の相互依存度は日増しに高まり、今の中国は日本にとって最大の輸出市場だ。

 それなのになぜ日中両国は岩だらけの不毛な島をめぐって躍起になっているのか。答えは簡単だ。内政の危機にある日本と中国の指導者はナショナリズムという伝家の宝刀を抜きたがっているのだ。

 一方、胡錦濤(フー・チンタオ)の後継者と目される習近平(シー・チンピン)は先週レオン・パネッタ米国防長官に「日本は中国の統治権と領土の保全を損ねるような言動を控えるべき」で、アメリカはこの論争に介入すべきではないと伝えた。強気な発言は経済成長が停滞し、首脳交代の時期も迎えた今の中国では受けがいい。

 同じく先週、米国務省のカート・キャンベル次官補(東アジア・太平洋担当)は上院の外交小委員会でこう発言した。「アメリカは日本の実効支配をはっきりと認めている。これは日米安保条約第5条の明確な適用範囲内だ」

 バラク・オバマ大統領は昨年11月、この条約は「地域の安全保障の要」であり、国家安全保障の重点を中東からアジア太平洋地域にシフトすると明言した。この方向転換は本心なのか口先だけなのか、その真意は分からない。後者だとしたら、次に激高するのは日本だろう。

[2012年10月 3日号掲載]

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

ドイツ銀、第3四半期は黒字回復 訴訟引当金戻し入れ

ビジネス

JDI、中国安徽省の工場立ち上げで最終契約に至らず

ビジネス

ボルボ・カーズの第3四半期、利益予想上回る 通年見

ビジネス

午後3時のドルは152円前半、「トランプトレード」
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:米大統領選 イスラエルリスク
特集:米大統領選 イスラエルリスク
2024年10月29日号(10/22発売)

イスラエル支持でカマラ・ハリスが失う「イスラム教徒票」が大統領選の勝負を分ける

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    秋の夜長に...「紫金山・アトラス彗星」が8万年ぶりに大接近、肉眼でも観測可能
  • 2
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」ものはどれ?
  • 3
    リアリストが日本被団協のノーベル平和賞受賞に思うこと
  • 4
    逃げ場はゼロ...ロシア軍の演習場を襲うウクライナ「…
  • 5
    トルコの古代遺跡に「ペルセウス座流星群」が降り注ぐ
  • 6
    大破した車の写真も...FPVドローンから逃げるロシア…
  • 7
    死亡リスクはロシア民族兵の4倍...ロシア軍に参加の…
  • 8
    中国経済が失速しても世界経済の底は抜けない
  • 9
    ウクライナ兵捕虜を処刑し始めたロシア軍。怖がらせ…
  • 10
    「ハリスがバイデンにクーデター」「ライオンのトレ…
  • 1
    秋の夜長に...「紫金山・アトラス彗星」が8万年ぶりに大接近、肉眼でも観測可能
  • 2
    死亡リスクはロシア民族兵の4倍...ロシア軍に参加の北朝鮮兵による「ブリヤート特別大隊」を待つ激戦地
  • 3
    大破した車の写真も...FPVドローンから逃げるロシア兵の正面に「竜の歯」 夜間に何者かが設置か(クルスク州)
  • 4
    韓国著作権団体、ノーベル賞受賞の韓江に教科書掲載料…
  • 5
    目撃された真っ白な「謎のキツネ」? 専門家も驚くそ…
  • 6
    ウクライナ兵捕虜を処刑し始めたロシア軍。怖がらせ…
  • 7
    逃げ場はゼロ...ロシア軍の演習場を襲うウクライナ「…
  • 8
    ロシア西部「弾薬庫」への攻撃で起きたのは、戦争が…
  • 9
    裁判沙汰になった300年前の沈没船、残骸発見→最新調…
  • 10
    北朝鮮を訪問したプーチン、金正恩の隣で「ものすご…
  • 1
    ベッツが語る大谷翔平の素顔「ショウは普通の男」「自由がないのは気の毒」「野球は超人的」
  • 2
    「地球が作り得る最大のハリケーン」が間もなくフロリダ上陸、「避難しなければ死ぬ」レベル
  • 3
    秋の夜長に...「紫金山・アトラス彗星」が8万年ぶりに大接近、肉眼でも観測可能
  • 4
    死亡リスクはロシア民族兵の4倍...ロシア軍に参加の…
  • 5
    大破した車の写真も...FPVドローンから逃げるロシア…
  • 6
    ウクライナに供与したF16がまた墜落?活躍する姿はど…
  • 7
    漫画、アニメの「次」のコンテンツは中国もうらやむ…
  • 8
    エジプト「叫ぶ女性ミイラ」の謎解明...最新技術が明…
  • 9
    ウクライナ軍、ドローンに続く「新兵器」と期待する…
  • 10
    韓国著作権団体、ノーベル賞受賞の韓江に教科書掲載料…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中