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日本の過去を見据える目
実際は、この2冊は黒船などではない。ビックスの著書は、天皇の死後に新たな史料を発掘した日本人歴史学者の仕事をベースにしている。ビックスもダワーもアメリカの占領政策と日本政府に対する批判的な見解をみせたが、これは進歩派の日本人歴史学者が何十年も前から主張してきたものだ。
「外からの視点」により書かれたもう一つの著書、イアン・ブルマの『戦争の記憶――日本人とドイツ人』(ちくま学芸文庫)についても同じことが言える。
アメリカで94年に出版されたこの本は、ドイツ人と日本人の戦争の記憶と戦争責任のとらえ方を比較し、その背景を探る。60年代の家永三郎から90年代の吉見義明まで、進歩派の歴史学者の見解を英語圏の読者に紹介する本でもある。
国民の戦争責任問題も
この3冊はいわば欧米から日本へ逆輸入されたものだが、驚くほど斬新な内容というわけではない。ただ、そこには政治的なシフトが読み取れる。
長い間、英語で書かれた日本の現代史といえば、占領政策に無批判な視点に立つものばかりだった。戦後日本の歴史学者には左派が多かったが、英米の日本史研究者には左派がほとんどいなかったからだ。だが80年代になって、日本の歴史研究が保守色を強める一方で、アメリカではダワーのような進歩派の学者が脚光を浴びるようになった。
ビックスやダワーの著者が、日本の進歩派の歴史学者の見解を多くの日本人に紹介したと言っていい。この興味深い現象もまた、「日米合作」と呼べるものだ。
日本の戦後史をめぐる議論は、学問の領域にとどまらない。アメリカの政治家はイラク占領を正当化するため、日本の占領政策の成功をたびたび引き合いに出した。「日米が協力して占領政策を進めた」というダワーの指摘は、イラクに関する主張がまやかしにすぎないことを明らかにする。
今年は、第二次大戦終結60周年にあたる。戦争責任問題は引き続き論議を呼ぶだろう。BBCはビックスの視点に沿う形で、昭和天皇の戦争責任を問うドキュメンタリーを放映する。
だが、それ以上に重要なのは国民の戦争責任だ。日本の戦後処理は、真珠湾攻撃から広島への原爆投下にいたる太平洋戦争には決着をつけたが、アジアでの戦争は無視している。そこでは、国民も天皇とともに責任をまぬがれた。
歴史という重い荷物を載せた黒船が今度日本に来航するとしたら、それは欧米からではない。アジアからやって来るだろう。
[2005年5月18日号掲載]