コラム

五輪、拡大する商業主義に問題はないのか?

2012年07月17日(火)11時15分

 ロンドン五輪が間近に迫ってきました。日本でも選手団がロンドンに向けて出発したとか、直前合宿の動向はどうかなどという報道が目立って来ましたし、アメリカでは独占放映権を持っているNBCテレビが既に特別報道体制に入っています。

 さて、オリンピックというと、70年代までは「アマチュア規定」というのが多くの種目であり、基本的にはスポーツでお金を稼ぐ「プロ」は排除されていたわけです。一方で旧社会主義国を中心に国から生活を保証されている「ステート・アマ」の存在があり、不公平という理由、また84年のロス五輪が完全民営化、つまり商業化されたイベントとしての収入で成立した大会となったことなどから、一気にほとんどのスポーツでプロ化が進んだわけです。

 この時点では、神聖なスポーツの世界がカネに汚されるというような議論もあったわけですが、名誉に加えて経済的な保証があることで動機づけされる部分は大きいということの社会的な理解が進み、現在に至っています。

 例えば、スポーツ評論家の玉木正之氏などは「神聖なアマチュアのスポーツという概念は、貴族社会の文化」であると指摘して、アマ規定というものが、実は五輪というものを富裕層だけのものにしている、つまり偽善的なものだという議論を展開しています。そうした見方も含めて、プロによる五輪というのが定着してきているわけです。確かに税金で開催して、しかも活躍できるのは「自腹を切れる」富裕層だけというよりは、民営化しプロ化した現在の方がシステムとして社会的な納得感はあると思います。

 では、こうした「プロ化」には問題はないのでしょうか? 私は「ある」と思います。その最大のものは「カネとの関係を安易に見せてしまう」ことが「スポーツへの夢」を「しぼませて」しまうという問題です。

 例えば、野球やサッカー、バスケ、あるいはゴルフやテニスのように、100%カネで割り切れる世界はまだいいのです。入場料も放映権料も有料、これに加えて広告収入もあり、個人の年俸もオープンにされる中で、カネを払う側のファンには納得感があるからです。

 問題は、プロスポーツとしての競技が確立していない分野です。陸上や水泳、体操などの個人技や、バレーボール、ビーチバレーなどでは、プロ競技のシステムでお金が回るようにはできていません。そこで何が起きるのかというと、選手を広告塔に使うという方法です。

 使用するユニフォームや用具にスポンサー企業のブランド名を表示させるというような手法は、今では社会的に認知されており、特別な違和感はないようです。ですが、問題は選手を「キャラクター」として消費者とのコミュニケーションツールに使うという動きです。

 例えば、アメリカの陸上や水泳というのは、幅広い高校と大学の体育会が裾野としてあり、大会の開催もそうした教育機関の予算の中から支出してお金が回っているわけです。ですが、長引く不況の影響で、そうした教育絡みのスポーツ振興予算が細り、結果的に競技団体からの五輪強化費用なども細っているわけです。これを埋めるために、ここ数年は「有名な五輪選手をテレビCFのキャラとして使う」という一時期の日本で流行した手法が取られています。

 特に目立っているのは、競泳のマイケル・フェリプス選手を起用した、ファーストフード業態のサンドイッチ店のCFです。北京で超人的な成果を上げ、今回も多くのメダルが期待されているフェリプス選手のようなキャラクターを、コメディの味付けがされたシリーズCFに使うというのは、これまでのアメリカ社会では余り見られなかったような使い方です。

 同選手の場合は、北京五輪の後に麻薬スキャンダルという事件があり、キャラ的にカリスマのイメージが崩れている分、「コメディ的な親しみやすいキャラ」として使ったということもあるでしょう。こうした「偶像破壊」的なカルチャーには、90年代から2000年代の日本の影響があるのかもしれません。事実、このサンドイッチのCFではフェリプス選手が「日本のバラエティー番組に出演している」というショットが一瞬写ったりするのです。

 アメリカではどうして、こうしたCFは例外的なのでしょう。それは、スポーツ選手にしても、俳優や歌手にしても、キャリアの絶頂期にある場合は、本業でのキャラクターやカリスマ性を最大限にしておくために、エージェントがCFへの露出に否定的になるからです。CFへの出演は、役者や選手のカリスマ性を曇らせ、ファンをガッカリさせることで、商品価値を下げてしまうということが広く理解されているからです。

 フェリプス選手に関して言えば、仮に五輪本大会での成績が振るわなければ、麻薬事件に加えてこのCF出演の話も絡めた非難が起きるでしょうし、そうなれば五輪やスポーツの持つファンタジーは傷つくでしょう。商業主義が過度になれば、選手の商品価値は下がってしまう危険があるというわけです。ここに「プロ化」のパラドックスがあります。

 現在のオリンピックというのは、正にカネとは切っても切れない関係にあるわけです。ですが、同時に五輪というカルチャーが提供しているのは、名誉であったり感動であったりというカネでは買えない価値なのです。カネに走りすぎれば、そうした本来の価値が下がってしまうわけで、これからの報道や中継番組のショーアップの方法などには、工夫が必要になってくるように思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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