コラム

アメリカのIT業界がBYOD(自前端末の業務使用)を許可する理由とは?

2012年05月25日(金)12時21分

 個人情報の漏洩が企業イメージを大きくダウンさせる中、日本では個人所有の自前端末を業務に使用することは制限されています。その一方で、アメリカではBYOD(自前端末の業務での使用)がトレンドとなり、今では75%の企業が何らかの形で許可しているという報道(23日のCNN『アウトフロント』)もあります。

 アメリカは極端な訴訟社会であり、個人情報にしても企業機密にしても情報管理には厳格なはずですが、どうしてこんなことになっているのでしょう?

 その前に、一種のIT用語となってきた「BYOD("Bring Your Own Device")」ですが、これは「BYO("Bring Your Own")」という言葉から来ています。要するに「自前の酒の持ち込み可」という意味のレストラン用語です。オーストラリアやニュージーランドが有名ですが、私の住むニュージャージー州でも定着しています。例えば、ニュージャージーの場合では、飲食店で酒類を提供する際の鑑札(ライセンス)が高額なため、中小のレストランでは酒類の提供をしません。

 その代わりに、客は自分のワインやビール(豪州ではワインだけのようですが)を勝手に持ち込んでもよく、レストランではそうした自前のボトル(オウン・ボトル)を開けてグラスに注いだり、白ワインの場合はワインクーラーで冷やしてくれたりするのです。客の側からすれば、酒屋で買ったワインを持ち込めるので割安になりますし、店としたら高額な鑑札を買わなくて良い、またサーバーにしてみれば、丁寧なサービスをするとチップももらえるので「誰にとっても悪くない」というイメージがあります。「BYOB("Bring Your Own Bottle")」と言うこともあります。

 自前デバイスの話に戻りますと、従来なら、セキュリティをギンギンに利かした「ブラックベリー」などを会社が従業員に貸与しており、社用のコミュニケーションは必ずそちらで、というのが大企業の常識だったのです。そうではなくて、自前の端末を持ってきてオフィスで仕事に使ってもいいというのは、個人にとっては幾つもデバイスを持ち歩く必要はないし、使い慣れたデバイスで効率も上がるので会社も歓迎する、しかも会社としてコストダウンにもなるというわけです。

 BYODがここまで一般化するというのには、何と言ってもアメリカのITカルチャーが関係しています。特に最近は Facebook やツイッターがコミュニケーションのツールとして、確立しており、こうしたSNSによる「つながり」が社会人には欠かせないわけです。しかも、アメリカのオフィス文化というのは特に管理職や専門職には「職務要件書に書いてあることで成果を上げていれば、勤務時間中に私用のコミュニケーションをやっていても構わない」という流れになっています。更に言えば、SNSは業務上のコミュニケーションにも入り込んできています。

 こうしたSNSというのは特に「使い慣れたデバイス」で「サクサク」とやるのがいいわけですし、仕事のオンとオフでいちいちデバイスを使い分けるのは面倒です。そうなると、どうしてもデバイスは1台にしておきたいということもあります。また私用と業務用を兼ねているということで、デバイス購入に補助の出る会社などでは、新機種が出たらどんどん更新できるので嬉しいという声もあります。

 では、IT担当者も「両手を上げて賛成」かというと、そうでもないわけで、やはりアンドロイドにしても、iOSにしても、それぞれOSとしてのセキュリティとしては最先端であっても、今は色々なアプリが横行しており、まあアプリの安全性は「専用ストア」を通っているのでマシとしても、メール添付の妙なものは入り込む可能性はあるわけです。マシンとしてセキュリティの観点から心配がないかというと必ずしもそうではないわけです。逆に会社側の失態で、個人のプライベート情報が漏れても訴訟リスクになります。

 そこで各社のIT部門は、BYODの導入を進めるにあたって各自の「自前端末」のセキュリティ監視を強化するために、専用のアプリをインストールさせたり、個人用のアプリも「承認されたもの」しか許可しないなど、色々なことをやっているようです。有名なところでは、お堅いIBMが先月(2012年4月)に一気にBYODを推進すると発表していますが、その前にイスラエルの小さな「モバイル向けセキュリティソフト」会社を買収するなど、機敏な動きを見せていました。

 終身雇用制ではないアメリカの場合は、突然に解雇されるという危険はあるわけですが、従来であれば「解雇された瞬間にアカウントが削除されてブラックベリーが即死」するなどということがあったわけですが、BYODの場合は自分のマシンに入っている業務上のアプリが「プッシュされて瞬間的にデリートされる」ということになる、各社のIT担当者はそうした運用を目指しているようです。

 グーグルがここへ来て「BtoB」のビジネスに注力しているとか、マイクロソフトが『オフィス』スイートをiOSとアンドロイドのプラットフォームでも出すという動きがありますが、これもBYODの流れに沿うものだと言えます。CEOのホイットマン女史が今週からリストラに着手したHP社の苦境も背景にはこの問題があると思われます。

 今週はシカゴでNATOサミットがあり、これに対する抗議行動と警官隊が激しく衝突してシカゴは騒然とした状況となりました。こうした事態に対して、シカゴのエマヌエル市長や、オバマ大統領は「治安維持にムダなカネはかけられないので、市民には在宅勤務をお願いする」という異例の声明を出しています。市民は淡々とこれに従い、シカゴの中心街は平日であるにも関わらずシーンとした状態になったようです。

 一見すると、政府の声明はムチャクチャなようですが、整然と多くの人が従ったというのは、オバマへの支持が強いからでも、デモ隊が怖いわけでも、誤って逮捕されるのがイヤなのでもなく、BYODが相当に進んでいて多くの職場で急遽在宅勤務に切り替えるということがスムーズに行ったからと見ることができます。アメリカでの仕事のスタイルは更に一層「ノマド化」していくことになりそうです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

「ガザは燃えている」、イスラエル軍が地上攻撃開始 

ビジネス

英雇用7カ月連続減、賃金伸び鈍化 失業率4.7%

ワールド

国連調査委、ガザのジェノサイド認定 イスラエル指導

ビジネス

25年全国基準地価は+1.5%、4年連続上昇 大都
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェイン・ジョンソンの、あまりの「激やせぶり」にネット騒然
  • 3
    腹斜筋が「発火する」自重トレーニングとは?...硬く締まった体幹は「横」で決まる【レッグレイズ編】
  • 4
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 5
    ケージを掃除中の飼い主にジャーマンシェパードがま…
  • 6
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 7
    電車内で「ウクライナ難民の女性」が襲われた驚愕シ…
  • 8
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 9
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 10
    「この歩き方はおかしい?」幼い娘の様子に違和感...…
  • 1
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 2
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 3
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 4
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 5
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 6
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 7
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    埼玉県川口市で取材した『おどろきの「クルド人問題…
  • 10
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 9
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 10
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story