コラム

財政をめぐる日米の政治、ニュアンスの違いには世代の問題が

2011年08月19日(金)11時15分

 それにしても2009年の総選挙では政権交代を生み出すパワーになった「子ども手当」が、ここまで悪者になるとは、やはり日本の政治は「空気」で動くのだと痛感させられます。まるで、悪しき「バラマキ」の象徴のように叩かれ、遂に「廃止」という言質まで野党に取られたのですから、隔世の感があります。

 2009年当時の「子ども手当」をめぐる賛否を振り返ると、少子化対策にはもっと根本的な改革、つまり教育や働き方など社会制度の変革が必要だという立場と、とにかく刺激策としてカネを出して出生率を向上させようという議論があったように記憶しています。ですが、現在の永田町の議論は違います。少子化への根本対策として邪道だから「子ども手当」を見直すのではなく、まず「復興対策への財源への不足感」があり、その結果として「バラマキ憎し」となり、それが「所得制限が緩い」という怒りになって最後には「廃止」ということになったようです。

 ちなみに、今回の「子ども手当論議」において、自公両党が「格差是正に舵を切った」という印象を持つとしたら、それは違うと思います。政争の戦術を競う中で、今回は偶然に所得制限論議が出てきただけの話と見るべきです。世代と地域のマトリックスで見れば、選挙対策めいた計算はあったかもしれませんが、あくまで所得制限論議は「財源の不安」から出た話であって、格差是正を真剣に考えたわけではないと思います。

 それはともかく、今回の論議で残念なのは、少子化への対策が忘れられてしまっていることです。論議の本筋はあくまで「財源不足」への危機感であり、結果的に子ども手当が縮小ないし削減された分だけ、出生率向上に役立つ「本来の政策」が復活するのかというと、そうでもないのだと思います。その危機感というのは、例えば与謝野馨氏が財政規律の立場から増税論を引っさげて菅内閣に入ってきた時点での議論とは変質しているように思います。

 震災前の増税論というのは、「将来の日本は成長率低下に苦しむだろうから、競争力のある今のうちに増税しておいて財政を少しでも改善しておけば破綻が先送りできるし、産業界にもカントリーリスクの先送りになる」というストーリーがあり、それ以前に「政治が意思決定をすれば、民間のムードも明るくなるし国際的な信用も回復する」という暗黙の期待があったように思います。そんな中、法人税率の引き下げも正式に検討に上っていたのです。

 ですが、震災を受けて情勢は大きく変わりました。悲観論に立つならば不安は限りなく出てきているのです。(1)巨額な復興費用が必要だがインフラを復旧してもGDP拡大のリターンはなく財政を悪化させるだけ、(2)電力不足と円高による空洞化加速の危険、(3)米欧の財政危機に端を発する世界不況悪化の危険、という3つの「2011年に入って発生した悲観要素」を加えて考えると、更に危機感が募るわけです。

 もしかするとその危機感の核にあるのは「ギリシャのように破綻すれば、年金が切られ、医療がカットされる」という引退世代に強いのかもしれません。そこで考えられるのは、政治が「引退世代の恐怖感」を敏感に受けとって、そこに票の匂いを感じているという可能性です。

 そう考えると現在進行形の民主党の政変と、それに絡まった自公両党の動きから見えてくるのは、(ア)子ども手当廃止だけでなく少子化対策への関心の低下、(イ)増税論が「消費税率アップ」の話からいつの間にか震災特別増税として「所得税アップ」にすり替え、(ウ)法人税率引き下げ論の撤回、という文脈です。これでは、極端なことを言えば「現役世代の富を引退世代に移転」し、「日本経済を成長に誘導することも止める」という政策に見えます。

 バラマキは悪だというキャンペーンが盛んですが、子ども手当以外の高速無料化についても、高校無償化についても、廃止イコール全て現役世代の利害をカットせよという話です。世代間で公平な負担だった消費税の話が所得増税にすり替ったのも、格差是正が動機ではないと思います。高齢な有権者の利害を知らず知らずのうちに意識した中での、変化だと思うのです。

 極論を言えば、空洞化も出生率低下も構わない、20年先のことは分からない、ただ5年後に破綻するのは困る、そんなイメージです。お断りしておきますが、政策立案をしている人々には、そこまでの意図はないかもしれません。個々の高齢者がそう考えているわけでもないでしょう。ですが、漠然と政争の力学に任せる中で、票の匂いにつられて投票率の高い高齢者の利害へシフトしつつこうなったのではないかと思われます。

 アメリカでも財政再建論議が激しい対立になっていますが、こちらはニュアンスが違います。財政規律への問題関心の立て方について言えば、オバマ大統領に代表される中道派は「長期的な競争力維持」という視点、右派のティーパーティーは「現役世代の、特に自営業者の利害」から政府の極小化と減税を主張、一方で民主党左派は「組合労働者と、その引退世代の利害」を代弁しつつ、激しいバトルを繰り広げているのです。

 そこには団塊2世、3世を中心とした各学年300万人という分厚い現役世代の存在があります。人口ピラミッドという点では、日米は全くの別世界です。その意味で、日本の政策について、放っておけば現役世代より高齢者の利害にシフトしてしまうのには一理あるのかもしれません。

 ですが、せめてこの世代間の問題を、もう少し直視して、そこに利害の衝突があることを見据えた上で落とし所を探るということはできないものでしょうか? 現在の「バラマキ反対」「所得増税」「法人減税見送り」という形をとった「なし崩し的な現役世代いじめ」が続き、最終的に国の競争力が更に大きく毀損されてしまえば、困るのは全員だと思うのからです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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