コラム

「永田洋子死刑囚の死」を契機として、改めて世代の問題を考える

2011年02月11日(金)12時59分

 いわゆる連合赤軍の幹部として、リンチ殺害事件や「あさま山荘事件」などによって死刑判決を受けていた永田洋子氏が死亡したというニュースを聞きました。永田氏とそのグループの起こした事件、および永田氏の個人的な軌跡については、私はもう関心が薄れています。というのは整理するのは比較的簡単だからです。

 自尊感情の強い人間よりも弱い人間のほうが権力欲や支配欲、あるいは「大胆な行動」への飛躍をしがちだという悲劇の典型であること、これは歴史上の独裁者から、現代のブラック企業の経営者に至るまで無数な例があり、永田氏もその一つと数えられるように思います。これに加えて家庭や職場あるいは学園などで個の尊厳を勝ち取る取引のできない人間に限って、自分とは無関係な「究極の不幸」を探す旅に出て、地の果てまで行ってその「不幸の原因」へ暴力を加えることで英雄になろうとする、これもロシア・アナキストの爆弾テロから現代のアルカイダに至る一種の「不毛なパターン」に過ぎません。

 ですが、永田氏のグループが起こした事件の社会的な影響に関しては、私はそこに深刻なものがあるし、世代の問題として問い続けなくてはならないと思うのです。今回の永田氏の死亡は、確定死刑囚であるがゆえに脳腫瘍の十分な治療が受けられなかった結果であるという報道も一部にあるようです。仮にそうだとするのであれば、永田氏の人権や逆に執行機会を逸したという個別の問題よりも、氏の死亡によりその問いかけの機会が「なし崩し的に」歴史のかなたへ消えていってしまうことを私は恐れる者です。

 問いかけたいのは1つのことです。いわゆる60年代末から70年代初頭の学生運動が、どうして永田氏のグループの起こした事件の発覚を契機に衰退して行ったのかという問題です。この一連の学生運動は色々な要因で起きたことが知られています。最初は大学の中の人事制度が封建的であること、例えば東大の場合は医学部のインターン制度への「異議申立て」からスタートしています。それが、時代の流れの中で、毛沢東の文革に封建主義を破壊するカタルシスを感じてしまったり、ベトナム戦争への加担への反対、戦争を知っている親の世代を汚れた存在として否定しようという衝動などが重なって、社会主義を肯定しながら反米ナショナリズムを叫ぶ政治運動に変化していきました。

 このような「学生運動」はフランスやアメリカにもあった現象で、ベビーブーム世代の分厚い世代人口の影響力行使という面も含めて文化的な現象にもなっていったわけです。そこまでは同時代を知る者としても、現在という地点から遡って見ることのできる者としても十分に理解ができます。ですが、問題は日本の場合に、この「永田氏のグループの事件」を1つのきっかけとして、その運動が沈静化したのはまだしも、「敗北感、沈滞感」の中からあらゆる理想主義や社会改良の意思、いや抽象的な思考の論理化や言語化といった行動までがトーンダウンしてしまったのです。いわゆる「しらけの世代」の登場です。

 社会主義への傾斜や暴力的な行動への反省や軌道修正だけでなく、70年代の中期には「政治に関心を持つ」とか「人権を考える」ということすら多くの若者は忌避しようとしたのです。そこには永田氏のグループの事件に衝撃を受けた教育界や治安当局が保身のために暴走したということはあるでしょう。その中で、経済合理性としても「政治的関心」や「理想主義」を捨てることが生き延びる道だという行動様式が主流となり、そこに漠然とした敗北感や自嘲的な姿勢などが乗っかって社会全体が腐ったのだと思うのです。

 私は現在の日本社会が「解くことのできない宿題」をたくさん背負っているのは、この70年代に失ったものが大きいからであるように思います。本当に人間が皆平等だと信じられないから能力主義の導入に踏み切れない、異なるものとの共存ができないから移民が入れられない、社会や家庭での男女平等が達成できないから子どもが産めない、就職の機会均等が達成できないから労働市場に流動性が与えられない、どれも今では日本社会をそのまま奈落の底まで引きずり込みそうな課題として未解決のまま放置されています。若者が自然に持っている理想主義衝動を活かしつつ、思想における自分探しの暴力ゲームから身の回りにある不正義の是正へと論点を引き戻して、堅実な歩みの中に日本社会が実効性のある改革を続けていれば、こんなことにはならなかったように思うのです。

 アメリカにいて驚かされるのは、いわゆるベビーブーマー世代、ベトナム戦争世代の中にある種の勝利感を持った人がいるということです。典型的なのはクリントン夫妻でしょう。若くしてベトナム反戦運動に加わり、「自分たちが戦争を止めさせた」という勝利の感覚を持ちながら、徐々に社会参加、社会改良の技能も身につけて、国を治め、しかも自他共に認めるある種の一貫性は守っているのです。韓国もそうです。80年代から90年代の民主化を学園で戦った世代は、今、韓国企業の国際戦略に活力を与えています。

 アメリカのケースも韓国のケースも、若い時代に「世界観」を持って「社会的理想」に関心を持った結果、抽象的な思考と現実を結びつける思想と実行力を獲得しているというメリットは明らかです。成熟と共に現実へと歩み寄った彼等を「ダークサイドに行った」として非難するのは簡単ですが、対比して考えると「敗北感から封建的な部分との戦いも止めてしまった」日本の長い回り道の異様さは、否が応でもクローズアップされてしまうように思います。東大医学部の研修医制度への疑問から始まった学生運動ですが、その研修医制度にしても、勤務医の労働環境にしても、改善するどころか当時よりも悲惨な状況にあるというあたりに、問題の深刻さを感じます。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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