コラム

「射殺か、保護か」クマとシカを巡る論争に出口はあるのか?

2010年11月10日(水)13時48分

 10月18日に北海道知床の斜里町で、小学校の近くに2頭のヒグマが出没して危険な状態になり、地元の猟友会の人たちが射殺して事無きを得たそうです。これに対しては、殺されたクマが可哀想だという批判が全国から寄せられたといいます。今年の秋は人里へのクマの出没が全国的な社会問題になっているようで、その原因としては相当に複雑な要因がもつれているようですが、射殺は可哀想という声と、これに対する反論が衝突する現象も全国的に見られるようです。今週は岡山県の美作地方で、一旦捕獲して山に放したクマが再び里に出てきて問題になったという報道もありました。

 一連のニュースを聞いて、私は自分の住んでいるアメリカのでの論争と似ていることに驚かされました。ここニュージャージー州のプリンストンというのは、雑木林に囲まれた田舎であり、良くも悪くも動物がたくさん生息しています。中でも問題はシカです。林の中の大学町をシカが闊歩しているというと、メルヘンの世界のように思われるかもしれませんが、実は人間社会にとっては大問題なのです。問題というのは交通事故で、シカが平気で飛び出してきてクルマに衝突するトラブルが絶えません。しかもそのシカの数がここ数年かなり増殖しているようで、秋になると道路脇には無残なシカの姿を多く見かけることになるわけです。

 このシカですが、事故になるとクルマにも相当なダメージを与えます。衝突した部分は大きく凹んでしまい、運が悪いと全損事故になることもあります。下手に避けようとしてスリップすると、大事故にもつながりかねません。そこで、日本のクマ問題と同じように、猟友会によるシカ処分作戦が実施されたこともありました。ですが、これが批判を浴びたのです。動物虐待であり、銃規制の厳しいニュージャージーで銃の使用を肯定するのは許せない、というわけです。

 ある年にはこの論争がエスカレートして、町役場がシカ狩りを「停止」せざるを得なくなり、一気にシカが増えて大変なことになったりもしました。例えばクルマが大破して保険会社との交渉などで苦労した人は一気に「シカ憎し」となる一方で、動物愛護と銃規制強化の理想に燃える人々は「シカ狩り反対」に走る、そんな構図です。もっとも、日本のクマ問題は場合によっては人命に関わるわけで、どこか「牧歌的な」シカ問題と同列に語るのは不謹慎かもしれません。ですが、両者には共通点がある、そう思うのです。

 それは「加害者の論理」と「被害者の論理」が対立しているという構図です。クマにしても、シカにしても「殺すな」とか「保護せよ」と言っている人たちにあるのは、自分たち人間は「加害者の立場」なのだから、加害行為を反省することが大事だという姿勢です。一方で「射殺やむなし」という意見の背後にあるのは、クマに危険を感じている人間、シカとの衝突を恐れるドライバーであり、つまり「被害者」の立場だということになります。かなり重大な被害を受けるか、受けそうになった恐怖体験を引きずった人間は、その「被害当事者」という意識から、強い経験則として防御本能を前提とした判断に傾くことになります。

 問題はこうした「加害者の論理」と「被害者の論理」が衝突しがちだということです。衝突のパターンは決まっています。「加害者の論理」から自省が大切だと思っている人からは、「射殺やむなし」という主張を行っている人は不道徳に見えるのです。悪しき人間が、残虐な武器を使用してどんどん動物の生命を奪っている、これは許せないというわけで、猟友会の人々などには、ある種の侮蔑の意識をもって対することになってしまいます。

 この無自覚な侮蔑意識は、「被害者の論理」の側には困惑を生じます。「正当防衛として行っている行為に対して、どうしてそこまで批判されなくてはならないのか?」という困惑は、次の瞬間には怒りに転じます。「自分の手は汚さない一方で、自分たちに対しては不当なまでの侮蔑の意識をもって攻撃してくる」あの人達は、もしかしたら自分たちの「敵」なのではないか? そんな怒りです。この対立構図は、一旦お互いを罵倒し始めると暴走する傾向があります。

 ここで視点を変えて人間とクマの力関係をどう捉えているかという視点から考えてみると、どうでしょうか? まず、「クマを殺すのは可哀相だし野蛮」と考えている人は、「人間>クマ」という力関係を前提にしています。一方で、「危険なクマは射殺やむなし」という人は「クマ>人間」と考えているわけです。そこで、この2つの「不等式」を結びつけると「保護派の人間>クマ>射殺派の人間」ということになります。

 重要なのは、この「保護派>クマ>射殺派」という力関係の不等式を理解しているのは実は「射殺派」の方だということです。「我々が恐れているクマを保護しようとしている連中は尊大であり、我々の危険を理解しないばかりか、我々の努力を否定している」というわけです。これに対して保護派の感覚では「武装した射殺派>クマ、クマ(被害者)=保護派(連帯意識)」という理解であり、射殺派の人がクマへの恐怖から「クマ>人間」という感覚を持っていることには気づかないのです。

 この点に関して言えば、まず保護派の側が射殺派の論理を理解することができれば、少し問題解決への手がかりができるのではないでしょうか? 本当は射殺派と保護派が話しあって「クマ、シカの出没数増加とその弊害」という「具体的な問題」への冷静な分析と対策立案に動くべきなのですが、その第一歩は相互理解、とりわけ保護派側の意識改革だと思うのです。

 この「不等式の違い」という話は、クマ、シカだけではなく、イルカ、クジラに始まって、外来種と生態系、遺伝子組換え、新薬開発と薬害、死刑存置、格差と貧困、世代間対立、環境変化と人為、エネルギー、銃規制、核兵器、戦争責任、歴史認識など多くの問題に応用ができるように思います。ちなみに、イルカ、クジラに関しては食用の可否が論点であって安全という観点からは外れますし、日本の核兵器論議に関しては、世界観なくしては受け止められないスケールをもった事象のために被害者の方が観念的という逆転があります。ですが、対立構図をどう乗り越えるのかという点に関しては、この「不等式」の話が参考になると思います。

 そうは言っても、宮崎駿さんが「風の谷のナウシカ」に言わせたように、動物愛護派が射殺派に対して「怖くないんだよ。怯えていただけなんだよね」などと「理解」を示したところで、簡単に溝が埋まるとは思えません。仮にそうであっても「自己を加害者と規定するのは絶対善」だとして、射殺には「絶対反対」つまり「お前は悪だから、こちらの世界観に屈服せよ」という独善に陥るよりは一歩前進ではないかと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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