コラム

NPT会議こそ広島・長崎へ

2010年05月31日(月)10時02分

 NPT(核拡散防止条約)の再検討会議が終わりました。会議の結論としては、核廃絶への期限を切った工程表(ロードマップ)の制定はできず、漠然とした廃絶への方向性が合意されただけで、会議に参加して核攻撃の被害を訴えた広島市の秋葉市長や、長崎市の田上市長からは失望のコメントが出ています。

 会議では、2012年をメドに中東非核化会議を行うことが決定したものの、そもそも中東の核問題の一方の当事者であるイスラエルは、核保有の事実を認めていないばかりか、NPTに加盟もしていない以上、会議ができるかも分からないという見方も可能です。そう考えると、今回の会議の成果とは一体何だったのかという秋葉、田上両市長の嘆きも理解できます。

 ですが、アメリカでの「空気」からすると、とにかく漠然とした内容で合意できただけでも「御の字」なのです。とりあえず、昨年4月のオバマ大統領による「プラハ宣言」で長期目標としての「核廃絶」がアメリカの、そして基本的には国際社会の方向性として出てきたわけで、今回の再検討会議でもその流れが確認できた、そして少なくとも逆行することにはならなかった、というのは評価しなくてはならない、そんな感覚があります。

 例えば、今後「ティーパーティー」のような保守ポピュリズムが更に勢力を伸ばしてくるようですと、「アメリカは核抑止力を堅持」とか「先制核攻撃の可能性は放棄しない」などと改めて言い出す可能性があるわけで、こんな結論の会議であっても「オバマのアメリカ」の核廃絶へのリーダーシップが健在であるというのは、評価すべきなのかもしれないのです。

 その「オバマのアメリカ」はイスラエルに甘いという声も聞かれましたが、それはオバマやヒラリーが右傾化していたり、二枚舌なのではなく、昨年6月以来「西岸地区の新規入植への反対」や「ハマスとの対話の姿勢」をオバマ政権が打ち出して以来、かなり冷え込んでいるネタニヤフ首相との関係が背景にあります。中東和平へとアメリカがプレッシャーをかけている現状を考えると、イスラエルの「虎の尾」とも言える「核」にまでアメリカとしては「ちょっかい」は出せなかったというのが真相だと思います。まず、イランに少しでもいからハッキリ譲歩させる、その「成果」をアメリカが見せるまで、この時点で「イスラエルの核」を問題視することはできなかったのでしょう。

 ところで、この際ですから、こうしたNPTの会議については、広島もしくは長崎での開催ということが、真剣に検討されても良いのではと思います。理由は2つあります。1つは、各国首脳に被爆の現実を勉強しながら、そして追体験しながら会議をやってもらうということですが、それだけではありません。

 NPT会議で成果を出すには、核戦争の愚かさを一方的に訴えるだけではダメだと思うのです。現在進行形の問題というのは、それぞれが具体的なコンフリクトの中に核兵器という駒が埋め込まれてしまっているのです。例えば、イスラエルの場合は、イランのアハマディネジャド大統領が再三にわたって「イスラエルの存在を否定」するような言動を行いながら核開発を行っている、その現状では自国の核を放棄するのは難しいのです。

 イスラエルの戦略としては、イランへの先制核攻撃は考えてないと思います。イランのイスラエルへの核攻撃能力が完成した場合には、通常兵器で先制してその設備を破壊する計画は持っているようですし、万が一核攻撃を受けた場合は直ちに報復核攻撃が可能な体制を取っていると思います。その中で、自国の核というのは自国の安全を守る駒として「必須」だという計算があると思われます。そんな現状では、イスラエルはあらゆる「核廃絶」の動きには一切参加しないでしょう。そして、この問題にはパレスチナとの紛争という「中東和平」の部分も絡んできます。

 この「現実」をどう「溶かしてゆくのか?」という部分、これは従来の被爆経験に根ざした反核運動では届きません。どんなに強く、どんなに粘り強く訴えても全く届かないのです。だからこそ、広島、長崎の、そして日本の世論は、そうした「リアルな国際政治」を知るべきだと思うのです。批判的な視線からでも勿論構いません。ですが、オバマとヒラリーが、従来のアメリカの姿勢とは一味違う形で緻密に進めている「中東和平」と「イランへのメッセージの継続」ということが、どれほど大変なことなのかを理解すべきです。

 また、核の平和利用と核物質の管理の問題など、IAEAが苦労している問題も、広島、長崎は継続的に理解をすべきだと思うのです。とにかく、広島、長崎の「強い思い」が、オバマやヒラリーのやっている「実務的な外交」と全く重なって来ない、それでは両市長が徒労感を表明するのも仕方がないように思うのです。勿論、日本や広島市、長崎市が、ヒラリーとネタニヤフの「丁々発止」や、オバマとアハマディネジャドの「腹の探り合い」に直接関与する局面は限られるでしょう。

 ですが、今この危機の時代に、とりあえず核戦争が回避できているのは、ヒロシマ・ナガサキの祈りの効果というよりも、現実の各国指導者の極めて現実的・実務的な努力のためでもあるのです。その一切を「汚れたパワーポリティクス」として傍観するだけでは、全世界を核廃絶にまで持ってゆくのは不可能だと思うのです。真に核廃絶が実現するとしたら、それは「被爆地の強い思い」と「粘り強く実務的な個別コンフリクトの仲裁」という活動がどこかで結びつく必要があります。そのためにも、こうしたNPTの大きな会議を広島、長崎に招致することには意味があるように思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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